GWにプライベートで大きなイベントがあって,無理に身体を動かして体調を崩したり(まあそれは自業自得だけど),パソコンがやたら重くて対処していたり,なんだかんだで更新が遅れました。ごめんなさい。腰痛はこの仕事の職業病らしいけど,多少の傷みだったのをイベントで悪化させてしまった。2日間にわたって跳びすぎ?首振りすぎ?何かは類推してください。
本題。「生きるって素晴らしい」みたいな人生讃歌らしき言葉を聞いてもどうもピンとこないのは何故だろう?と時々思う。まあ,基本的に人生は大変だと思っている人なので,全肯定されるとまぶしすぎるみたいな?別に,生きることを否定してはいないし,大変だと思いながらそれなりに楽しんでる部分もあるけど,もっと物事っていろんな要素があるじゃない?そういういろんなことひっくるめて「素晴らしい」と言えるまで達観した人ならいいんだけど,なんかお題目みたいに「人生って素晴らしいのよ!」みたいに言う人がいて,宗教っぽいなとか思っちゃう。あ,別に宗教自体は否定するつもりないけど,逃避的に宗教に走るというか,そういう感じ。それはあなたが素晴らしいって思いたいんじゃないの?とか思ってしまう。
クライエントさんの側に立つということは,クライエントさんのもつ闇の中に参入することで,セラピストは自分の闇に開かれてなくてはいけない,というのは僕の持論で,自分の闇に入っていると「人生は素晴らしい」なんて発想は全く出てこない。僕の中の闇は,常に死の世界とつながっている。「死にたいと思ったことありますか?」と問われれば,「毎日,その瞬間は訪れます」と答える。フロイトは,それをタナトス(死の本能)と呼んだのだろう。誤解しないでほしいのは,別に自殺したいと思っているとか自殺を肯定しているという話ではないということ。人間の心の闇の側には,本人が意識しているかどうかは別として,やはりそういう衝動があるということ。そして,僕はそれを知っているという話。いや,知らされたというべきか。昔,闇に落ちたときから僕には自分の中の闇が見えている。もちろん,すべてではないにせよ,闇が自分の中にあることを知っている。その意味では,闇に襲われるような不安をあまり感じないですむのかもしれない。不安というものは,恐らく自分の中の闇がもたらすものだから。
自分の闇と対峙して,その上で生きていくことは,いろいろな矛盾を孕んでいる。タナトスに対してエロス(生きる本能)もあって,そのバランスをとりながら何とか生きているというか,イメージとしては,東洋思想の陰(黒)と陽(白)が混じり合ってバランスを取っている図が一番ピッタリくる。そのタナトスとエロスのバランスの中で,ギリギリでもエロスが優勢でいられているという感じなのかな?でも,その方が生きることの本質なんだろうと思う。生きるのが大変なことは間違いない。でも,その中で生き抜いて,生き残っていけば,人生の先達のように,「それでも,生きるって素晴らしい」と言える時がいつかくるかもしれない。少なくとも,寿命がきて死ぬときに,「生ききった」とでも思えるといいね。