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Blogger's Avatar  2011-6-17 1:39
 東日本大震災から3ヶ月が過ぎて,被災地から離れた地域では日常を取り戻し始めていると思います。少しずつ支援への関心が減っていく時期だと思いますが,継続的な支援が必要ですし,対応の遅れが目立ち被災した人々のストレスはかなり蓄積されているはずです。何とか保っていた心理的なバランスが崩れやすい頃でもありますので,何らかの形で支援しようとする気持ちを向け続けることが大切だと思います。今回は,支援する側とされる側のギャップについて書いてみます。
 支援される側,すなわち被災した人々というのは,大きな経済的損失であったり衣食住が脅かされていたり,何らかの形で支援を受ける必要があります。そうすると心理的な構造上,どうしても弱い立場に立たされます。そして,心理的な意味でも弱い立場になりやすくなります。そうすると,それに対応する支援する側というのは,支援される側という弱い立場に追いやられた人々の対極に立つことになり,心理的な構造上,強い立場にあります。この立場というのは,磁場のようなもので,立たされた立場によって心理的な動きが変化してきます。映画にもなりましたが,昔,無作為に囚人と看守という立場に分けられて刑務所で生活するという心理実験が行われたことがあります。彼らは,立場によって言動が変わり始めて事件に発展するわけですが,実験状況ではなく日常的な立場でも,ある程度同じようなことは起こっています。
 支援する側は心理的優位に立ちやすいし,支援される側は心理的劣位におかれやすい。これが,社会的優位にいる政治家と民衆という構造と重なることで,その心理的距離はさらに大きくなります。最近の政治の混乱と遅々として進まない震災対応を見ても,政治家たちの心が被災地の当事者から大きく離れていることは明白でしょう。復興のためと言いながら,関心が飛躍して政局が続いたり,平等と言いながら義援金が届かなかったりと,支援する側の論理は支援される側の想いとは大きくずれていきます。多くの被災者の方々が「自分たちの立場になってみろ」というような訴えをしていることも,それをよく表していると思います。プロセス指向心理学を創始したミンデルは,「ランク」という概念を用いて,高いランク(立場)の者がそのランクを降りて低いランクから物事を見ることの難しさと必要性を論じていますが,自覚がなければ相当に困難なことです。
 同じ支援する側であっても,ボランティアの人々などは同じように被災経験を持っていたり,自分たちが同じ状況になり得ることを認識できる,支援される側を想像できる人々です。同じ立場から,同じ目線で被災という現実を見つめられるからこそ,有効な支援ができるのだと思います。天皇陛下の姿勢もそうです。ランクは高いといえるでしょうが,常に民のことを想うという教育や環境で培われたランクを降りる力は,真偽がよく見える立場の被災地の人々から歓迎されていました。クライエントさんもそうですが,支援される側に立つと,真偽がよく見えるようになります。支援する側が同じことをしていても,その人がどういうつもりでしているのかがよく見えます。普段からランクの高い立場にいる人は,意識してランクを降りていかなければ,必要な支援が見えなくて的外れなことをしていたりします。どんな状況でも,支援される側が主役なのですから,支援する側は脇役であることをよくよく認識して行動することが大切です。

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