夏休みに音楽系のイベントに行った時,被災者への黙祷のひとときがあって,音が絶えないイベントが1分間の静寂に包まれた。若者もたくさんいたけれど,死を前にした厳かさというのか,そういう感覚は共有できるんだと感じた。特に,日本全体が衝撃を受けた大震災だっただけに,それぞれ思うところがあるんだろうし,被災者の悲しみや苦しみは計り知れないけど,日本人が心をひとつにする大きな転機になったのかもしれない。心の病や悩みも,その人の全体性を取り戻すきっかけになるものだし,きちんと悲しみや苦しみと向き合って乗り越えていけるなら,必ず意味をもっているものだと思う。今回は,前に書いた,支援する側の陥りやすい心理的傾向について別の角度から書きます。
支援する側,ここでは心理療法の文脈に戻って,カウンセラー/セラピストの自我肥大という視点で書きます。臨床心理士を含め,カウンセラーとかセラピストを志向する人の中には,過去にクライエント体験をしている人も結構いる。前に書いた文脈で言うと,「支援される側」になるわけで,そうすると,構造的に弱い立場に立たされやすいので,ある場合にはカウンセラー/セラピストを上に見て,憧れや羨望といった形でああなりたいと思って臨床心理士を目指すとか,そういう志向性をもつようになる。一種の転移です。それ自体は他の職業でもあり得ることだし,問題はないのだけれど,問題はそこで展開された関係性の質です。要はカウンセラー/セラピストが構造的に強い立場におかれる影響で自我肥大を起こしているような場合,転移感情がからむと,その時のクライエントがカウンセラー/セラピストの立場に立った時,その垂直的な関係性を再現しようとすることが起こる。
関係性があまり絡まない単純な憧れや,クライエント−セラピスト関係でも水平関係にセラピストが降りている関係性の中では,単純にモデリングという形で表れることが多いので,それほど問題にはならないのだけど,垂直的な関係性を反映した転移の場合,セラピストが垂直関係の上位を保つために,権威的にクライエントを下位に貶めるといった関係性が展開される。それは,転移感情の中では,元クライエントのセラピストは下位に陥った時の自己イメージを否定(防衛機制でいう否認)する形でセラピスト(上位)であり続けなければならず,常に潜在的に下位に陥る恐怖心を抱いているという心理状態にある。このような例は,いわゆる不健全な自己愛の構造で,パワーハラスメントの加害者側の心理状態にも見られる。そして,迫害されたパワハラの被害者は,上の立場に立つと自分がされたようなことをしばしばやって加害者になってしまう。
パワハラの連鎖構造は,潜在的な「報復」が形になって表れるのだけど,心理臨床では「援助」という表面的な善意の形を取っているので,より難しい。共通するのは,やはり劣等コンプレックスということになるので,パワハラの構造よりスーパービジョンや教育分析を通して扱われる機会がある分,予防しやすいとも言えるのだけど,自我肥大に陥ったカウンセラー/セラピストはその必要がないと思うか,受けたとしても権威的な相手のもとで,転移感情の中にある垂直的な関係性を強化させることを無意識的に選んだりしているので,結構複雑になる。そのようなカウンセラー/セラピストに出会うクライエントさんは,不幸な結果に終わることが多いから,それを予防できるようなトレーニング・システムを整備することが重要だと思う。そして,カウンセリング/心理療法の構造上,すべてのカウンセラー/セラピストが陥りかねないことも,自戒を込めて警鐘を鳴らしたい。