福岡で行われた心理臨床学会で,僕の発表に来てくださった方,本当にありがとうございました。最終日の最後の枠だったので,どうなるかと思っていましたが,ほぼ満席で80名を超える来場者の中,無事に発表をお超えることができました。今回は,僕の発表も含めて,いくつかの発達障害系の発表における議論の方向性で感じたことを書いてみようと思います。まあ,その場でとっさには,今ひとつ自分の考えを表現できなかった反省もあって,補足の意味もあるのだけれど。
発達障害系の事例発表に参加していて,よくある議論は診断名についてのものだった。例えば,僕の発表でも「アスペルガー傾向」と表現している見立てについて,本当にアスペルガー障害なのかを判断したいというような質問がいくつかあったし,他の発表を見ても,そういった質問・意見はよく聞かれた。でも,「アスペルガー障害」(診断名はDSMに倣う)かどうかの鑑別に,どれほどの意味があるんだろう?もちろん,より正確に見立てができているかどうかは援助方針にも関わるし,アセスメントという重要な心理臨床業務の一環でもある。しかし,診断名としての「アスペルガー障害」と見立てとしての「アスペルガー傾向」を区別したからと言って,少なくとも僕の,あるいは僕が参加した発表の文脈においては,援助方針が特に変わるものではなかった。何らかの発達的な要因で困難を抱えている児童に対してその困難が緩和されるように援助する,という意味では,診断基準に照らした鑑別はほとんど意味をなさないと思う。もちろん,診断基準を踏まえずに印象だけで「アスペルガー傾向」といった表現を用いるのは論外なので,その辺は誤解しないでね。
心理臨床家は,基本的に「見立て」という用語を使うし,「診断」は医師の業務範囲なので,そもそも心理臨床家が鑑別診断をする必要はない,というかしてはいけない。診断名を出すのであれば,医師の診断があって出すべき。だから「アスペルガー傾向」という表現を使ったのだけど,これもまあ,曖昧な表現と言われればそうかもしれないとは思うけどね。ともかく,本来,心理臨床家の「見立て」というのは,その人がどのような気質やパーソナリティの傾向,あるいは発達的傾向をもち,それを背景にどのような困難を抱えているかを把握して,援助につなげるためのものであって,ラベリングのためではない。もちろん医師の「診断」も,(特に薬物療法における)治療方針を立てるためのものだけど。いずれにせよ,ラベリングが重要なわけではないことは共通しているはずだけど,診断名がラベリングに陥りやすい構造を持つものであることは確かだし,その点で心理臨床家は診断名や診断基準を参照枠程度にとどめておくべきだと思う。
あと,援助方針についても,問題行動が出ている基盤にある認知様式にこそアプローチすべきではないかという議論も僕の発表であったけれど,そのあたりはセラピストの援助に対する考え方の違いが大きいと思う。確かに,発達障害系に対するアプローチは認知や行動面に対して行われることが比較的スタンダードだけれど,僕はその認知様式の背景にある部分,今回の表現で言えば「主体を育む」という方向にアプローチすることで,個々の場面で異なる認知様式の現れに対処するよりも,根本的な部分を改善しうるし本来的な心理的援助につながると考えているので,プレイセラピーを通した援助を基本的に貫いている。個々の場面での対処行動は,僕としては対処行動のパターン学習であると思うので,それはその問題行動が起こる現場で行われることが望ましいし,連携して総合的な援助ができることを望んでいる。今回の発表でも,間接的に学校の対応と連携できたことが,よかったと思っている。そこは,心理臨床家と教育的指導の役割の違いであると思うので,協力して子どもたちの援助に当たっていけるように願っている。