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Blogger's Avatar  2011-10-22 0:06
 忙しいのが続いたあげくに体調を崩したりで,更新が遅れました。毎度のことですが,お待たせしてしまってごめんなさい。自分の身体との対話というのを深めているので前より回復は早いんですけど,身体の中に眠っていたものを見つけちゃうこともあって,体調を崩す場合もあったりという感じですね。でも身体の方でもわかっていて,大きな支障がない時に崩れてくれたりします。今回の話題は,まったく違って「共感」というカウンセリング/心理療法における最も基本であり奥が深いものです。
 「共感」は,クライエント中心療法で有名なロジャースが提唱した概念のひとつですが,カウンセリング/心理療法の入門的な講座に行くと,必ずと言っていいほど「受容」とセットで最初に習うことが多いというぐらい,ポピュラーな概念です。ご多分に漏れず,僕の講座でも教えているわけですが,中には驚くような教え方をしている場所(人)もいるようなので,最近聞いて驚かされた一例を挙げて,「共感」を考えていきたいと思います。ロジャースの共感についての記述の前半は,「クライエントの私的な世界を,あたかも自分自身のものであるかのように感じ取り,」とありますが,これをある講座のロールプレイで,「クライエントが話している内容に近い体験をセラピストが自分の体験から想起して,(感情反射という技法として)その感情をクライエントに返す」という感じで教えているということでした。みなさんはこれを読んでどう思いますか?
 日常的に相手の相談を聴いているという場合は,まあこれでもいいです。よく「あ〜私も似たことがあった,わかるわかる!」というのと似てます。それでも,健康な人の中には「わかってもらえた」気持ちになる人もいます。でも,その「わかる」は,本当に相手の体験した感情と同じものでしょうか?例えば,「悲しい」という同じ感情の名前だとしても,それは同じ体験でしょうか?言葉を使う時に気をつけなければいけないのは,言葉はあくまで記号だということです。違う人同士の会話で,同じ言葉が同じ意味をもつと考えてしまうのは,コミュニケーション上は便利ですが,習慣的にそれに慣れてしまうと,「共感」ということからは離れてしまいます。そして,セラピストが体験した感情をクライエントの感情のように反射することも,クライエントの本当の感情からは離れてしまうことになります。ただ,前段の「あたかも自分自身のものであるかのように」(as if)というのは,一朝一夕では身につきません。ロジャースは,この(as if)をどうやったらいいのかを明確には説明していませんので,どう教えたらいいかと悩んだあげくにひねりだした説明なのかもしれません。
 僕がこの(as if)を説明する時には,「想像力」ということを挙げています。とにかく,クライエントさんの話を丁寧に聴いて,想像するということです。それも,自分の心の中で想像するのではなく,クライエントさんの心の世界を自分の心の中に仮想的に展開するような感じで,そのエピソードなどを追体験するように聴いていきます。その過程で,もしクライエントさんが言葉にしない感情がセラピストの中に生まれてきたならば,それは高度な感情反射として伝えてもいいでしょう。でも,最初に挙げた例とは,「共感」の度合いが天と地ほども違うはずです。これを本当にできるまでがどれほど難しいかは,実際に練習してみないとわからないと思います。それでも,本当の意味で「共感」が身につけば,それだけでも中等度程度の神経症水準のクライエントさんまでなら改善に導くことが可能です。逆に,病理水準の見立てができないのに「共感」だけで何らかの病理をもつクライエントさんの話を聴くのがどれほど危険かも知って,安易にカウンセリングを標榜する自称カウンセラーが増えないようにとも願っています。

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