-

カテゴリ : 
 »
執筆 : 
Blogger's Avatar  2011-12-14 19:55
 11月から12月にかけて,僕が週2日勤務している教育相談の現場は,とても忙しくなりますが,今年は例年にないほどケースが詰まってきて,大変な状況です。年々ケースが増えている感があるのは,発達障害(特に広汎性発達障害(PDD)スペクトラム)と思われる子どもたちの不適応・不登校などが増えていることが要因のひとつとして挙げられます。今回は,今までの学会発表を論文にまとめようと思っていることもあり,発達障害(特にアスペルガー障害や高機能自閉症)について書きたいと思います。
 発達障害と思われる,または同水準で診断が出ている子どもたちへのプレイセラピーの僕の一連の事例発表では,4年続けて発達障害へのプレイセラピーの有効性について論じてきました。一般に,発達障害児に対してはプレイセラピーよりも指導的・教育的アプローチが選択されることが多いのが実情なのですが,形だけの適応行動を身につけさせたとしても,子どもらしさが失われロボットのようになっていることも見られます。もちろん,療育を通して生き生きとしてくる子どもたちも見ていますが,それは背景に子どもとの関係性が育まれており,適応行動より先に療育担当者との関係性があってのことです。しかし,ともすれば「大人の手を煩わせない」ことが優先されることの方が多くなりがちです。そうすると,子どもの「主体」である子どもらしさというものがどんどん失われていき,大人びているけども形式張って応用が利かない,ロボットのような言動になってしまいます。
 プレイセラピーという技法を掲げていますが,その本質は他の多くの心理療法と同様,「関係性」にあります。遊びというひとつの関わり方を通して,クライエントとなった子どもと「関係性」を育んでいくことが中心です。これまでも多くの指摘がありますが,発達障害(特にPDD圏)の子どもたちは対人的な関係希求をもっていないわけではなく,単純に言うなら,それを求めても上手くいかずあきらめざるを得ないような環境に置かれてきた歴史をもつことが多いのです。それも,言葉以前の原初的な関係性イメージに障害があると言ってよく,発達障害のプレイセラピーは,セラピストが無意識的レベルでその次元に降りて関わることが必要になってきます。この関係性イメージの障害は,求めても応えられなかった経験など,「無力感」とでも言うようなものが根底にあり,ユング的に言えばその「無力感」が布置され,セラピストの無意識に影響を及ぼします。そうすると,セラピストは無力化されてしまいます。これが,従来のプレイセラピーが発達障害に対して「無効」とまで言われる背景だと考えています。
 このように書くと,僕が発達障害は後天的なもの(環境因)だと考えているという誤解を与えるかもしれませんが,もちろん,発達障害に対する医学的な見解を無視しているわけではありません。確かに,象徴的イメージの形成を主として,定型発達とは異なる特徴が見られると思いますし,プレイセラピーをするにあたっても,それを充分に理解していないとなかなか有効には機能しません。過去に,発達障害を心因として母親を主な要因に挙げたことに強い批判が集まり,医学的に先天性のもの(生得因)と規定されて落ちついたという経緯があります。しかし,最近になって発達障害の臨床家からいくつかの指摘が出てきているように,生得因に由来する独特の育てづらさが基底にあり,それを背景に母子関係の不協和が生じて,二次障害的に診断基準に挙げられるような症状に発展するという,複合的な視点が必要だと思います。そして,前述した「無力感」の影響を最も身近で強力に受けるのが母親などの主たる養育者であり,母子両面を視野に入れた支援やサポートの体制を整えることが,今後の発達障害支援のより良い形ではないかと考えています。

トラックバック

トラックバックpingアドレス http://www.kokoro.net/modules/cp_blog/tb.php/178