毎度のことながら,ブログの更新,お待たせしました。最近は心身の変化が大きくて,それを整えることを優先している感じです。野口整体を続けてきて,GWぐらいからは身体の芯から緩んできた感じがあります。そうすると,身体の奥の方にあったコリや痛みをよく感じられるんですけど,身体が重かったり眠気が強かったりするので,活動性は高くありません。その波を抜ける度に少しずつ身体が軽く楽な状態にもなるんですけど,いろいろとストレスが強い出来事もあるので,順調に進むわけでもなかったりします。まあ,それでもいい方向に向かっていることは感じられているので,意味がある体験だと思って取り組んでいます。今回は,その中での心と身体のつながりについての気づきなどを書いてみたいと思います。
野口整体の活元運動というものを続けてきて,自分の身体が無意識に動こうとする流れに任せながらも,その流れや身体の動きにきちんと意識を向けるということをしていくうちに,自分の身体のちょっとした動きを感じ取れるようになってきた。特に,普段いつの間にか入れてしまっている余分な力に気がつくことが多くなった。僕の場合は,特に肩甲骨あたりを起点に両手の指までの連なりの中で,余分に力が入っている。恐らく,長年にわたってそれを続けてきたから,それが普通になってしまってわからなくなっていたのだと思う。身体が緩んでくると,習慣的に力を入れていた部分の緩んだ状態がわかり,そうすると力が入っていることに気づくようになる。反面,力を入れていることも浮き彫りになるので鈍くなっていた感覚が戻ってきてより痛みを感じたりもする。でも,痛みに気づいて,そこが緩んだ状態もわかっていれば,自分で緩められるのでケアできる。問題は,鈍くなって感じられない力みが蓄積されて限界を超えることだ。これは,心のメカニズムと非常によく似ている。
深層心理学系の基本とも言える心のメカニズムである防衛機制は,本来的には自分を守るためにある。専門的には自我を守るためのメカニズムなのだけれど,身体で言えば何らかの形で力を入れている状態と言える。まあ,一時的に力を入れて自分を守るためなら,心にも身体にも必要なことだ。簡単に言えば,転びそうになった時にバランスを取ったり身を守る姿勢を取ることは大切だし,心も同じようなことを身につけていると言える。ただ,何らかの危機的状況が続くことで,それを過剰に続けて習慣化していくと,心も身体もおかしくなってくる。転びそうになった時に力を入れた状態を絶えず続けなければいけないとしたら,そのうちに痛みで悲鳴を上げる。悲鳴を上げているならまだいいが,麻痺してその痛みを感じられなくなればやがて壊れる。心も悲鳴を上げたい時に上げられずにいると麻痺して,やがて壊れていく。
野口整体を学ぶ中で,人間は本来,腰全体で身体を支えるようになっているのだけど,多くの人は腰が安定しなくなっているので肩の辺りで支えようとして余計な負担を身体にかけているのだと知った。僕もそうなっていたようだし,ストレスがかかった時には肩甲骨を上げて肩に力を入れていることに気づくようになった。そして,無意識的に身体に余分な力を入れるのは,無意識的な感情がそうさせているということも,だんだんわかってきた。考えてみれば,身体に物理的な負荷がかかるというのは,日常生活でそんなに頻繁にあることではない。緊張した時に身体を硬くしているなど,心と身体がつながっていることは誰でも感じているし,身体に負荷がかかるより心に負荷がかかることの方が圧倒的に多いはずだ。身体の歪みを正常に戻すことも大切だけど,根本的にはその歪みの元である心の負荷,感情に焦点を当てることを重視する野口整体は,とても人間全体を見ていて素晴らしいと思う。