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Blogger's Avatar  2012-8-20 18:46
 オリンピックの応援をするのに盛り上がって,終わったらしばらく放心状態みたいな感じで,更新が遅れてしまってごめんなさい。史上最高のメダル獲得数ということで,感動の連続でした。選手たちには,ありがとうという感謝とお疲れさまでしたと伝えたい気持ちです。今日はパレードもあって,行けなかったのでテレビで見ましたが,ものすごい人でしたね。そろそろ,学会発表に向けて準備をしていかないとなので,5回連続の発達障害とプレイセラピーに関する発表の集大成という感じになるかなと思いながら,今回は書いていきたいと思います。
 何度も書いていることですが,発達障害や類似した様相を示している子どもたちに対して,プレイセラピーなどの従来の心理療法は無効という見解まであるのですが,僕の臨床経験上,そこまで極端な違いはないと感じていて,発達障害と呼ばれる特性を踏まえて,それに応じた形で遊びを通して関わることで充分にプレイセラピーは有効に機能するということを伝えたくて発表を続けてきました。僕がそれほど影響力があるとは思いませんが,最近は発達障害に対するプレイセラピーの事例発表なども増えてきている印象がありますので,多くの方が臨床経験上で角度は違っても似たようなことを感じているのだと思います。確かに,大人を含めて発達障害という特性は,従来の心理療法では対応が難しい側面がありますし,それはセラピストの専門性というアイデンティティを揺るがすようなことかもしれません。でも,セラピストがそこに向き合って工夫を重ねていくことが,心理療法の発展にもつながるのだと思います。
 発達障害と呼ばれる特性は,基本的には先天的にイメージなどの象徴機能の形成に不全を抱えているというのが,中心的なものだと考えています。ユーモアや婉曲的/比喩的表現の理解が困難であったり,心理療法で扱われるイメージの象徴的解釈/分析などが当てはまらなかったりといった現象は,そこに起因していると思われます。そういう状態だと,母子関係の形成も通常のコミュニケーションが困難なために何らかの不調和になりやすく,二次障害的に様々な症状が現れてくると考えられます。ここでいう症状は,上述した以外の広汎性発達障害群に見られる症状ですが,僕はこれらの症状は二次障害的なものだと思っているので,このような書き方をしています。例えば,母子関係をベースにした世界との関係が不安定なものであれば,対人関係よりも対物関係とでもいえる,五感を通して安定して感じられる「モノ」を介して,世界を捉えようとするのも自然な反応だと思います。偏った認知の仕方や事物やルールへのこだわりなどは,心の安定のために必要な要素なのだと考えています。
 このような世界の捉え方をする発達障害に対して,心理療法におけるイメージというものを扱おうとする場合,象徴的な言語レベルでは本人が必死に安定させようとしている世界を不安定にさせてしまいます。そこで,本人の世界にセラピストが参入させてもらうという形で,「モノ」を介して対物的な関係性を育むというのが僕のプレイセラピーの基本になっています。この時,セラピストさえも「モノ」と化していくことになりますので,セラピストは通常の対人関係とは異なるモードになる必要があります。この辺りを伝えることが難しいところですが,逆に言えば従来の心理療法が通用しないセラピストは無力化されるので,セラピストが自覚的に無力化するということが大切なポイントになります。対物であっても,そこで関係性が育まれれば,ウィニコットが言うようなホールディング(holding)の関係性の場を展開することが可能になり,プレイセラピーが機能することにつながります。心理臨床学会の発表は15日の15:30からになりましたので,事例を通してこのようなことも伝えられればと考えています。

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