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Blogger's Avatar  2014-3-21 0:59
 毎年3月にブログを書くのは,確定申告の作業が終わった後の放心状態から回復してという感じになるんですが,今回はいろいろと予定が重なっていて放心状態になる間もない感じで前半が過ぎていきました。月末にかけてまだ大きな作業があるので,本格的に取りかかる前に更新している感じです。今回は,「何とかしようとしないこと」と題して,書きたいと思います。
 カウンセラー/セラピストを目指す人や実際にそれを職業とする人の多くは,クライエントさんを「何とかしてあげたい」と思うものだと思います。ですが,セラピストが何とかしようと頑張るほどに,それが空回りしてかえってクライエントさんのためにならない結果につながりがちです。上手くいかないとセラピストは焦り,さらに何とかしようと頑張って空回りするという堂々巡りに陥っていきます。この背景としては,まず逆転移を考えるのが順当なところです。この場合,「何とかしてほしい」というクライエントさんの大変さにセラピストが同情して動かされている感じです。また,クライエント側の「何とかしてくれる人」という期待イメージがセラピストに付与されると,セラピストは無意識にその役割を演じてしまったりもします。依存性の高いクライエントさんなどは,周囲の援助動機を喚起するような言動を自然に身につけているので,セラピストは無自覚にクライエントさんの望む関係性に巻き込まれやすくなります。「何とかしようとする」テーマひとつ考えても,こういった様々な関係性の動きが考えられます。

 もうひとつは,セラピストの援助動機の背景が,セラピスト自身の欲求を満たすためである場合があります。「何とかしてあげる人」という優位の立場に自分を起きたい欲求であったり,もっと肥大して救済者のような誇大イメージを自分に与えようとする,メサイア・コンプレックスと言われるものもあります。相手より優位に立ちたいという欲求は,本当は自分が劣っているということと向き合えずに,それを覆い隠すような立場を求めていくので,優位に立てない状況,例えば上手くいっていない感じがあることに耐えられずにクライエントさんを無意識に責めるようになったり,ついには怒り出したり説教を始めたりして,クライエントさんを攻撃したりコントロールしようとしたりするようになります。多くは自己愛が不健康な状態のセラピストが陥りがちですが,それがセラピストという職業がもつ「善意」で装飾されてしまい,正当化されてしまいがちです。一見上手くいっているように見える場合も,先ほどとは逆に,セラピスト側の「何とかされる人」という期待イメージがクライエントに付与されて,クライエントさんが無意識にその役割を演じていたりします。そうすると,セラピストがむしろ依存していて,そんなクライエントさんが来談し続けることで頼られている自分に満足していたりします。こうなると,無意識にクライエントさんが縛りつけられ,一見上手くいっているように見えても,いわば共依存のような形になってしまいます。

 セラピストは,既に職業上の役割として「何とかしてくれる人」を期待されています。ですから,セラピスト自身の社会的役割との関係性も関連しています。社会的に認められたいという欲求がそこに絡んでくると,やはりクライエントさんを無意識に利用しようとしたりしがちです。もちろん,何とかしなくていいわけではなく,結果として「何とかなっていく」のが専門家なのですが,それには「何とかしようとしない」というセラピストのあり方を保つことが大切になると言えます。河合隼雄先生が「何もしないことに全力を尽くす」という表現をしていますが,「何とかしようとしない」という意味も含まれているのだろうと考えています。そこに全力を尽くすぐらいでないと,前述したような様々な要因が絡み合って,「何とかしようとする」セラピストの弊害にはまりこんでしまうのだと思います。そして,セラピストは絶えず,自分の背景を理解することを続け,無意識で起こっていることに敏感になって,クライエントさんとの関係性に注意を払うことが大切なのです。

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