また更新が遅くなってしまってごめんなさい。中旬頃から体調を崩していて,ようやく回復してきました。ちょうど遅めの夏休みを取っているところですので,休養を優先できました。夏の疲れが出てくる時期ですので,みなさんも変調を感じたらなるべく休養を取ってくださいね。今回は,僕自身の心理臨床家としての個性化と,今後の方向性について書いてみようと思います。
「個性化」というのはユング心理学の言葉で,無意識にある心の中心が進もうとする方向性に気づき,それをそれまでに生きてきた方向性と統合していく過程といった意味になりますが,無意識に埋もれてしまった「本来の自分」が発現していくことだと思います。人間は大人になるに従って,自我を発達させていきますが,それはある意味で適応の歴史とも言えます。家族や社会といった関係性の中で,その場にふさわしい役割に応じた振る舞いを身につけていく必要があり,それは家族や社会の一員になって自分の位置づけであるアイデンティティを確立していく上でとても重要です。それが人生の前半のプロセスとするなら,後半は適応のためにそれまで無意識に眠らせてきた,あるいは押し込めてきた「本来の自分」が主張を始めるプロセスと言えます。ユングは「中年期の危機」という表現をしていますが,この時期には人生の転機とも言える大きな変化が訪れたり,意識と無意識の方向性の違いから心身の症状などに表れることも多いと言えます。その「本来の自分」の主張にしっかり気づいていくことで,心の全体性に近づいていくプロセスを「個性化の過程」として,ユングはとても重視していくようになりました。
この「個性化」が,僕の心理臨床家としてのプロセスにも大きくかかわってきたと,ここ数年強く感じています。このブログでもその都度,感じたことを書いてきましたが,心理臨床家というアイデンティティそのものが変化していこうとしている感じです。臨床心理士として活動を始めて数年ぐらいで生まれてきた違和感は,「臨床」とか「療法」という言葉のイメージも大きいのでしょうが,どうしても病気なり症状なりを抱える人が受けるものというイメージが強いようで,それに医療モデルのイメージが加わって「治してもらう」「何とかしてもらう」という受け身で来談する方が多いということでした。もちろん,クライエントさんは症状などに苦しんでいるわけですからそう思うことは自然ですし,それを責めるつもりは全くありません。僕が感じてきた違和感というのは,臨床心理学はもっと発展的に活用できる側面をたくさん含んでいるのに,医療モデルに偏ったイメージがついているために充分な活用がされていないことが残念なのです。また,ここ数年で野口整体の考え方と出会うことでハッキリしてきた,臨床経験を通して感じてきたことによる,僕自身の臨床観というか健康観の変化も大きいと思います。それは,心身の健康を自分自身のこととして捉え,受け身でなく主体的に自分自身の症状と向き合うことが重要になるということです。これから新たに,協会としての形ができたシャーマニック心理学に基づいた,心理臨床とは異なる方向性を打ち出していきたいと考えています。
僕が臨床心理士を目指そうと思った最初のきっかけと言えるのは,両腕を切断したアメリカ人のギタリストが両足を使って音楽活動を続けるというドキュメンタリーに感動を伴った衝撃を受けたことです。そのような人生の根幹を揺るがすような出来事に直面しても,それと向き合って乗り越え,人格的にも大きな成長を遂げていくような人間の可能性に惹かれたことが中心にあります。前述したような僕が感じてきた違和感は,僕自身が臨床心理士という社会的役割に適応するために,医療モデルを受け入れてきた時期もありましたし,感じている違和感に基づく明確な方向性の発信ができていなかったことにも起因しているので,今回はその反省の表明でもあります。とはいえ,これまでの臨床活動に後悔しているわけではありませんし,出会ってきたクライエントさんに対してその都度にできる最大限のことをやってきた自負もあります。そして,今後も臨床心理士としての活動を続けることも変わりません。ただ,僕自身の「本来の自分」に気づいて個性化が進んでいるので,その方向性を中心にしていきたいと考えています。僕自身のあり方が明確になって腰が据わることが,今後の活動でサポートしていく人々のためにもなると信じて進んでいきたいと思います。