何かと忙しくて,更新がまた月末までずれ込んでしまいました。もう遅れるのが恒例のようになってしまい恐縮ですが,いつも読んでくださるみなさんに感謝を伝えたいと思います。ありがとうございます。前回の記事では,僕自身の個性化として新しい方向性が出てきたことを書きましたが,今回は「シャーマニック・アウェアネス・サポート」という新しい方向性を掲げて進み始めたので,因果論と目的論を中心にカウンセリング/心理療法の先を目指すようなサポートの形について書きたいと思います。
前回,カウンセリング/心理療法が全体として「治してもらう」「助言してもらう」といった医療モデル(治療モデル)のイメージが先行しやすいことを書きましたが,心身の症状や悩みに苦しんでいる状態から抜け出したいという願いは無理もないことです。ただ,西洋医学などの治療モデルは,因果論が根底にあるので,何かが生じた原因を見つけて,それを何とかすることで解決しようとします。これは,問題(原因)が自分の外側(または過去)にあるという発想につながるので,自分では引き受けないで他の人に任せるわけです。適切に人に任せられるのはひとつの能力ですが,自分のことは自分で引き受けるのが健全といえるでしょう。因果論と対比される目的論では,何かが生じた時にそこに何らかの目的性を想定して,それが生じたことの意味を読み取ろうとします。心身の症状を結果と考えて原因を探すのではなく,逆に症状が原因のような感じで,それが時間軸で見れば結果の方向へどう展開していくのかを見ていきます。例えれば種が花となり実を結ぶ過程を見ていきます。症状がどう展開するかという視点になれば,自ずと視点は自分の内側(または未来)に向きます。因果論は過去志向,目的論は未来志向とも言われますが,このように発想が全く違います。現代に広まった科学的思考は因果論が根底にあるので,医療モデルを含めて多くの人に因果論が染みついてしまっています。
因果論で症状を見ると,自分の外側に原因があると考えるので原因のせいにします。原因という過去にとらわれて外側にある原因のせいにして,未来に進むことができなくなります。目的論で症状を見ると,自分の内側で何かが起ころうとしているので,それを自分で引き受けてそれがどう展開してどこに向かうのかを見ようとします。今の自分のあり方を見つめて,それがどうなっていこうとしているのかに気づくことで,自ずと未来へと進むことができます。それでも,症状は苦しいものですから,その苦しいものが自分の外側から来たと考えて排除したくなるのは無理からぬことではあります。外科的な世界や感染症などは特に因果論で,病因を排除することで健康を取り戻すというアプローチをとってきましたし,それで医学が進歩してきて現代はその恩恵にあずかっているわけですから,因果論が悪いわけではないのです。ただ,内科的な世界や骨折などは,基本的に自己治癒力が頼りです。風邪は薬で症状を抑えている間に休養を取り,自己治癒力を回復することで治るわけですし,骨折も動かないように固定して骨がくっつくのを待つしかありません。精神科も内科的な世界ですから,考え方は基本的に同じです。風邪や骨折なのに動き回って自己治癒力を高めようとしなければ,治るものも治らなくなります。「治してもらう」のではなく「治っていく」のです。このように,因果論的思考は内科的な世界にはそれほど適切とは言えません。
「心身の症状」という書き方をしていますが,身体の症状も多くは心と密接に関連しています。これに「身近なトラブル」を加えているのは,ユングの共時性の考え方からすれば,周囲で起こっていることや対人関係も心のあり方と密接に関連しているからです。ユング心理学やその発展であるプロセスワーク,それらに基盤をおくシャーマニック心理学は目的論を中心にしています。対比的に「治っていく」と書きましたが,心身の症状や身近なトラブルが起こってきた時,それと向き合ってその目的性に「気づく」ことが大切になります。目的性に気づき,それが達成される方向に進んでいくなら,心身の症状や身近なトラブルはその目的性が必要なくなります。結果として「治っていく」ように見えるわけですが,その時は目的性が加わった心のあり方になっているので,自己成長や自己変容が進んでいるということになります。苦しさのあまり,原因や過去にとらわれて前に進めなくなりやすいのが因果論的思考です。セラピストとクライエントのどちらが因果論的な医療モデルにとらわれても,なかなか前に進めなくなり,改善が遅くなります。対症療法で一時的に症状が改善したように見えても,本質的な心のあり方が変化していなければ,目的性が残ったままなのでまた同じ症状や形を変えた症状が繰り返されます。シャーマニック・アウェアネス・サポートでは,サポートを受ける方の主体的な取り組みを強く推奨していますが,この目的論を明確にしてカウンセリング/心理療法の先を目指すための宣言の意味もあります。また,因果論的思考が染みついている多くの人は,目的論的思考への転換がすぐには難しいので,必要に応じて従来のカウンセリング/心理療法も行いますが,目的論的思考へ向かえるように進めていきたいと考えています。