投稿がまた遅くなってしまってごめんなさい。プロセスワークのトレーニングの一環で論文を書いていたり,確定申告の作業でかなりバタバタしています。春の気配が感じられる季節ですが,心身が弛んできやすい時期になります。弛むのはいいのですが,これまで蓄積されていた感情やストレスなどが心身の症状に表れやすい時期でもあります。心身の変化に早めに気づけるように心がけていくことをお勧めします。今回は,教育相談に従事して10年になる節目が近づいているので,発達障害について関係性の観点からの試論ということで書きたいと思います。
発達障害という概念も一人歩きしている感があり,正しい理解を広めたいという気持ちもありますが,それはこの記事でどうにかなる話でもないので,関心のある方は,できるだけ聞きかじり程度でなく,正しい知識を得るようにしてくださいとお願いするにとどめます。発達障害と言うと,先天的(生得的)なものという理解が一般的ですが,僕の臨床経験からすると,母子関係を中心とした幼少期の関係性のあり方に起因するものが一定の割合で含まれていると感じています。前にも少し書いたと思いますが,被虐待児に発達障害に酷似した特性が見られる「第四の発達障害」とも呼ばれる子どもたちの事例が報告されています。これが,幼少時の関係性のあり方に起因する「発達障害」と呼ばれる状態の代表的なものと言えます。これが重篤なものとすれば,虐待までいかなくとも,幼少時の関係性のあり方になんらかの問題が継続的にある場合,以前「軽度発達障害」と呼ばれたような水準の発達障害を呈することは,充分に推論できます。もちろん,推論だけでなく,僕が多く出会ってきたDSM-IV時代に「アスペルガー障害」「高機能自閉症」と呼ばれるような事例でも,幼少時の関係性から検討すると共通性が見られるのです。
それでは,なぜ幼少時の関係性が影響するかということを簡潔に書いてみようと思います。スターンの「情動調律」は,単純化すると母親(的な心的機能)の子どもへの共感性と言えますが,この関わりが適切に継続されることで,関係性の中で気持ちを共有されることの喜びが情緒的な発達につながっていくと考えられます。共有される喜びは共有する喜びともつながり,母親などの主な養育者の気持ちを察するような反応も観察されるようになり,相手の視点に立って考えるという能力に発達していきます。自閉症スペクトラムの典型例では,この共感性や相手の視点に立つという能力が欠落あるいは乏しいことが指摘されていますが,「情動調律」を基礎とする情緒的な発達が阻害されたことに起因する場合があることは否定できないと思います。もちろん,エインスワースが研究した子どもの愛着行動のタイプ分類のように,愛着の形成に困難が大きい子どもが一定の割合で存在しますし,先天的(生得的)と考えられる要素があるので,幼少時の関係性の問題が母親などの主な養育者ばかりにあるとするのは早計です。幼少時の関係性の問題は,どちらが悪いといった原因論にあるのでなく,相互の特性が上手く噛み合うか,噛み合わないときに適切なサポートがあるかなど,母子を取り巻く様々な要因にあるという広い視点で捉えることが大切です。
ただし,主に社会的な要因として,核家族化の影響で母親の子育てに関するサポートが世代が進むにつれて減っていることは否めません。子育てにおいて母親が孤立することは,母親という新たな役割における共感される体験の乏しさにつながり,それは子どもに対する共感能力を奪います。また,共感性の乏しい環境で育ってきた母親に,充分な共感能力を期待することは,どこかで補われる機会がなければ難しいと言えます。ビオンが述べた「もの思い」は,子どもの何だかわからない生理的欲求に対して母親などの主な養育者がそこに想いを寄せることで欲求を察して満たしていく関係性のあり方を基本としますが,養育環境でそのような関係性を体験できなかった子どもは,長じて精神病やパーソナリティ障害といった重度の病態水準を呈するようになると考えられています。個人的に,発達障害がより早期に起こるその類縁かもしれないと感じるのは,僕の臨床経験として,「情動調律」や「もの思い」的なセラピストの関わりが発達障害と呼ばれるような子どもたちに有効に働くからに他なりません。もちろん,ここで書くほど簡単ではありませんし,発達障害的な傾向が全くなくなるわけではありませんが,軽快することは確かに経験してきました。基本的に,人間は関係性を通して情緒的に発達し,大人になっても成長を続けます。関係性は心理臨床の基盤でもあるので,セラピストの関係性を築く能力が,その資質としても最も大切だと感じています。