今回は,少しだけ早めに更新することができて,少しホッとできる感じです。とは言っても,メールマガジンの方に掲載する配信予定としては全然遅れているんですが(苦笑),少し落ちついている状態なんだなと思ってもらえれば嬉しいです。いつも忙しいとか体調不良とかが理由になるんですが,深いレベルでは自分の中にある闇と向き合うみたいな時期に入っていて,それが影響していることもあります。今回は,そういった体験を通した気づきの一端で,幻覚妄想について書いてみようと思います。
まず最初に,今回書いている内容は,僕の心の中で起こっていることを見つめていって気づいたことを書いているので,仮説検証した研究成果みたいなものではありません。統合失調症的な世界の話ですから,検証するには発症までしないとならないので,勤務仕事もあるのでそうもいきませんので。まあ,思いつきに近いものですが,実感を伴っているので割と実際の体験に近いのではと思っています。単純に言うと,幻覚妄想の元になるようなイメージまでは行ってみられたのでその報告という感じです。自分の心のコンディションが悪いときに,もちろんそういう時期はかなりきついんですが,一方ではそこで何が起こっているのかを観察しようとする部分もあるんですよね。ユングは,フロイトと袂をわかつことになった後に統合失調症を発症し,自ら回復してくる過程で自分の心を見つめていき,その後の理論形成や臨床実践に活かしたとされています。僕もユングにならって,自分の状態が悪ければ悪いなりに,その体験を見つめることが臨床に活かせると思っています。何度か,危機的な時期はあって,幻覚妄想の元を感じることも複数あったので,自分の中では検証というか確認できてきているところまではきたので,ブログで書いてみることにしました。
簡単に説明すると,幻覚はありもしないものが見えたり聞こえたりする,妄想は実際には起こっていないことが起こっていると思い込んでいる,そういう状態で統合失調症では「陽性症状」と呼ばれ,統合失調症の急性期には幻覚や妄想が強く症状として出ることが多いです。僕の感覚としては,幻覚は何かしら「恐怖」の対象がイメージとして表れてきて,妄想は「不安」に思っていることを現実で起こっているように感じる,という分け方がしっくりきます。「恐怖」と「不安」の区別は,ざっくり言うと,対象があるか漠然としているかということになりますが,幻覚の場合も,「恐怖」の対象があり得ない形で襲ってくる「不安」が絡んでいるように感じます。そして,その元にあるのは,大枠で「罪」と表現できるもので,それに対する「罰」が関係しているように思います。光があれば闇があるように,誰にでも「闇」の部分があります。ユング心理学では「シャドウ(影)」という元型が挙げられていますが,自分が見たくない側面は心の奥にしまっておきたいものです。それはいつしか,パンドラの箱のような開けてはいけないものになっていきます。「罪」は心の奥に押し込まれますが,いつか「罰」を受けるはずだという潜在的な不安としてエネルギーをもちます。そして,心の安定が破綻すると,そのエネルギーが妄想や幻覚として表れることになるように感じています。
統合失調症のよくある幻覚や妄想の中に,自分が狙われたり責められているとか盗撮盗聴されているという内容がありますが,これは「罪」が暴かれたり「罰」を受けたりするイメージに思えます。何かに操られているような内容も多いですが,操られて「罪」を犯したので「罰」から逃れられるという感じかもしれません。そうすると,微妙に防衛機制が働いている感じもします。聴いていると荒唐無稽と思える内容も多いのですが,心の奥に押し込めた「罪」は現実的な方法で見つかるはずもないので,それが暴かれて「罰」を受けるという精神状態を前提におくと,現実にあり得ないようなことが起こらないとつじつまが合わないことになります。その意味では,幻覚や妄想は,無意識レベルで起こっているつじつま合わせの結果なのかもしれません。まあ,誰しも夢の中では,現実にあり得ないようなことを経験するわけですから,それを考えれば心のバランスを大きく崩すと,幻覚や妄想も起こりえることではあります。今回書いたのは,僕の体験からの気づきなので,これが一般化できるわけではないのですが,統合失調症という心の世界で起こっていることを理解するのに役立てる一助にはなるのではないかと思います。幻覚妄想に限りませんが,症状という枠組みで片付けるのではなく,そこにはその人にとっての意味があり,それを理解しようと関わる姿勢が心理臨床家として大切だということを,今回の体験を通して改めて考える機会になりました。「罪」や「罰」も,統合失調症に限らず,カウンセリング/心理療法でテーマになることが多くあるので,折に触れて考えていきたいと思います。