東京では大雪などもあり,例年にない寒さでしたが,少しずつ寒さが弛んで春の気配が感じられるようになりました。僕自身は,1月末から強いめまいが続いており,通常の仕事だけ何とかこなしているという状態です。いろいろな困難が重なり,自律神経のバランスがなかなか戻らないという感じですが,心と身体との関係に想いをめぐらしている日々です。このため,今回は心身症について,羽生結弦選手の言葉から運命転換にもつなげて書いてみようと思います。
「心身症」というのは,「心因性の身体症状」ということになるのですが,これは古典的な用語で,精神医学における診断基準にはうまく当てはまらない感じです。DSM-IVの「身体表現性障害」の一部に入るかもしれない,という感じでしたが,DSM-5に改訂されて変更されました。一番近いのが「身体症状性障害」ですが,あまり当てはまる感じがしません。一般の西洋医学的には,「自律神経失調症」という病名がつきますが,正式な診断名ではありません。それでも,症状的には最も「心身症」をよく表しています。このような理由で,「心身症」という言い方が僕としては一番しっくりきます。その症状は多岐にわたりますので,調べたい場合は「自律神経失調症」を解説しているところを検索して見ていただければと思います。「心因性」というのは,簡単にいえば何らかのストレス要因ということになるのですが,ストレス研究などを見るとわかるように,結婚といった幸せなイベントが順位的に大きなストレスに分類されたりしますので,良い悪いにかかわらず,精神的な負荷がかかるものと考えておくのがいいように思います。日本では古来,「心身一如」(禅などでは「身心一如」と表現)といって,心と身体はひとつという考え方が伝統的で,僕が学んでいる「野口整体」でも同様です。「心身一如」と考えれば,「心因性の身体症状」という表現が適切かどうかという感じもありますが,便宜上この方がイメージしやすいかなと思っています。
プロセスワーク的には,「身体症状」は無意識レベルの心が表現するチャンネルのひとつという言い方ができるので,前述の「身体表現性障害」という名称は,診断基準的なことは別として,「身体が心の何かを表現している」とも取れるので,割と好きな表現でした。プロセスワークの始まりが,心(夢)と身体症状の共時性を見出したことによるので,僕自身も身体症状をあまり悪いものとして捉えてはいません。身体症状には,何らかの無意識の智恵から発するメッセージがあり,それをしっかり受け取っていくことで,表現としての身体症状は必要性が薄れるかなくなるので,症状も軽減するか消失することが多いと言えます。とはいえ,症状自体が強いとその苦痛の方が勝り,ワークして無意識レベルの気づきを得るという余裕がもてないこともあります。このため,カウンセラー/セラピストとしては,複雑になっていることも多いストレス要因をひもといていき,「心身症」における「心因」を明らかにするカウンセリング/心理療法的なアプローチも大切にしています。「心身症」のメカニズムを指して「身体化」という言い方をしますが,「心因」を感情レベルでうまく表現できないタイプだと,身体症状で表現してしまう「身体化」が多くなります。お話を聴かせていただく中で,「心因」をひもとくことでどんな気持ちを抱えていたのかが明らかになっていくと,症状も緩和されていきます。
僕自身も,「身体化」しやすいタイプですので,軽重はありますが,小さい頃から絶えず何らかの身体症状を抱えてきたような感じです。それが,プロセスワークや野口整体といった,「心身一如」という心と身体の関連性に関心を強くさせてきたということもあります。臨床心理士となって,いろいろと学びながら自分の身体症状とも向き合ってきました。そこから,様々な気づきも得て自己理解も深まり,心理臨床家としても成長してこられたと感じています。今回,また大きな身体症状と向き合いながら,自分自身の気持ちとも向き合い,それを大切にしていこうという感覚でいます。オリンピックで金メダル連覇を成し遂げた,羽生結弦選手の言葉で「弱さは強さ」というのがあり,「弱さを見つめることで,強さに変わっていく」という話をしていたことに感銘を受けました。手前味噌な感じですが,「運命転換」の文脈でいえば,「困難と向き合うことで,成長に変わっていく」ということになると思います。うつ病や双極性障害などでも,「弱さを見つめる」ことが改善への大きな転換につながることが多くあります。僕自身も,今は身体症状とともに抑うつ感も結構あるのですが,それを見つめて向き合うことで,僕自身の強さや成長に転換していき,「運命転換」というテーマを体現していきたいと思います。そして,この経験を,心理的なサポートにも活かしていけるように,進んでいきたいと思います。