この時期は,春から夏への季節の変わり目になるので,自律神経が乱れやすいのですが,最近の東京周辺は気温の変化が大きく,特に体調の変化などに注意していきたいところです。冷房の部屋と暑い野外などとの気温差も,意外と自律神経に影響しますので,気をつけていきましょう。今回は,発達障害に関する誤解などについて,書きたいと思います。
発達障害は主として,自閉症スペクトラム障害(ASD)と注意欠陥多動性障害(ADHD),学習障害(LD)がありますが,今回書きたいと思ったきっかけは,ネット上の複数の記事でした。Facebookでシェアされていたりで知ることが多いのですが,最近よく目にするのが,発達障害を抱えている(と本人は感じてる)人の生きづらさのようなライフストーリーを取材した記事です。当事者の語りを通して,外見からはわかりづらい大変さを伝えるような趣旨のものが多いのですが,どうも,読んでいると疑問符がいくつも出てくるような記事が目立ちます。取材する側も取材される側も,臨床的な経験に基づく専門的な知識が充分ではないために,本当に発達障害なのかどうかが曖昧なまま,記事になっているという印象が残ってしまうのです。ここで記事を示してあげつらうようなことはしませんが,こういう記事を読んだ人が,自分にも当てはまると思ったりあの人もそうじゃないかと思ったりして,発達障害に関する誤解が広がってしまうような懸念をもっています。発達障害という概念が広まってきて,早期発見につながる側面もあるのですが,多くが断片的あるいは表面的な情報から知識を得て,診断などの専門的な見解には基づかない形で,「発達障害」という用語を使っていることが多いと感じるので,注意喚起の意味も込めて書いている次第です。
自閉症スペクトラム障害(ASD)については,その場の空気や文脈が読めないためのトラブルとか,コミュニケーションに関する苦労という側面が挙げられることが多いと思います。発達障害と判断するには,その状態像が何に起因するかによって異なってくるので,自己中心的でその場の空気を無視するとか,思い込みが激しくて誤解をよくするとか,コミュニケーションが単に苦手というような特徴だけでは当てはまりません。注意欠陥多動性障害(ADHD)については,主に注意機能の問題が大きいタイプと,衝動性の高さが目立つタイプ,その両方に分類されます。これも,何に起因するかによるので,片付けなどのまとまりのある作業が進まずにできないことや,衝動性の点で易怒性(怒りっぽさ)や急に感情的になるといった行動面だけを見て判断することはできません。学習障害(LD)については,全体としての能力は劣っていないのに,読み書きや算数などの限局した部分に限り大きく劣ることを指しています。名称の問題もあるのですが,勉強ができないことや苦手なものがあることから,そう指摘されたり心配されたりする子どもを多く見てきました。また,適応が難しい子どもや扱いづらい人物などの蔑称のように「発達障害」という言葉が使われることもよく耳にします。それを使う人が,相手のことで苦労したり嫌な想いをしていて,何かを当てはめた方がスッキリするような気持ちが起こるのは理解できますが,本当に発達障害で大変な想いをしている人にとっては,差別的な意味合いになってしまうことを懸念しています。
前述した記事の中には,自分の生きづらさの理由を発達障害に求めているような内容も散見されました。記事を読む限りでは,学校や会社などの中では比較的多くの人が感じるであろう,対人的な葛藤やシステム的な問題などに起因する生きづらさを,主に自閉症系の発達障害に当てはめてしまう傾向が感じられました。まあ,個人のことだけであれば,それで本人の生きづらさが少しでも緩和されて,社会で生きていける頼りになるのなら,それでもいいと思うのですが,記事として紹介されることで誤解が広まるのは避けてほしいと感じています。このような現象は,時代とともに移り変わっていて,少し昔で言うと「アダルトチルドレン」,最近広がりを見せているのが「HSP(高い繊細さをもつ人)」が挙げられます。生きづらさの理由をどこかに求めたいという気持ちは,多くの人にあって流行のように広がっていきます。これは,ある種の時代や社会システムの病なのかもしれないとも思いますが,他のものと違って,発達障害は診断名のカテゴリーであるので,レッテルを貼って烙印を押すような強いニュアンスにもなりかねません。その点で,記事を書く人には特に,発達障害に関する誤解が広まらないように,専門的な見解を踏まえながらの客観性を保てるように配慮していただきたいと願っています。