4月は新しい仕事などで忙しく,また更新が遅くなってしまいました。平成から令和に時代が移ったところでの更新になりましたので,令和のお慶びを申し上げます。僕自身も,昭和・平成・令和と3つ目の元号に突入したので,心機一転して個人的にも新たな時代を迎えたと感じられる展開になっていけるように,努力を傾けていきたいと思います。今回は,令和時代の心理臨床の展望について,私見を書いてみたいと思います。
臨床心理士を中心とすれば,平成の心理臨床の世界は国家資格化への遅々とした歩みとともにあったのではないかと思います。平成時代の半ば,大学院生時代に日本心理臨床学会に入りましたが,その頃から国家資格化に向けた動きの話は出たり消えたりしていましたから,平成の最後の年に公認心理師という形で国家資格ができたのは,象徴的とも言えます。臨床心理士の延長線上に展望していた国家資格とは,いろいろと動きを見ていても違う形になってしまった感は否めませんが,医療領域で心理職が国家資格でないことはいろいろと不都合が生じていたので,必要とされていた部分も大きく,国家資格という形ができたことは専門職として位置づけられた感があり,喜ばしい側面もあります。公認心理師という国家資格ができた以上,それが中心的な役割を果たしていくと考えられますので,臨床心理士が今後,それ以上の専門性をもつ資格として認知され広がりを見せていくのかは未知数です。
令和の時代は,次第に公認心理師が認知され,心理関連の資格取得を目指すというときには,公認心理師が第一選択となるでしょうから,仕事をしていく上で臨床心理士をとるメリットが見出せないと,わざわざ取得するとはあまり思えません。臨床心理士は5年更新制をとっていますが,公認心理師を取得してそれで特に不足を感じなければ,臨床心理士の既取得者も更新をしないという選択をとる割合が増えていくでしょう。個人的には,更新制は質の維持向上の意味でも重要だと考えていますし,質を担保する意義があるとは思っているのですが,一般の方には臨床心理士でさえそこまで認知度が高いわけではないので,臨床心理士だから質が高い証明になるかというと,難しいところだと感じています。ただし,質の問題は臨床心理士でない公認心理師が増えていったときに,公認心理師の専門性が臨床心理士ほどには概して高くないという評価が,現場サイドやクライエントなど利用者サイドで広がっていく可能性は考えられます。受験資格としての教育課程に差がありますし,「臨床の智」とも言える経験知的な質に関しては,臨床心理士が積み重ねてきたものが大きいと思います。
それでも,社会的要請として,公認心理師にそれほど高度な専門性が求められていくかというと,疑問が残ります。「臨床の智」というのは,カウンセリング/心理療法における真髄のような,ある種のマニアックな水準であり,心の世界の深奥に届くようなレベルの質を指しています。もちろん,そのような水準の専門性が必要なクライエントさんが一定以上いることは確かです。個人臨床の領域で,一定以上の重い病態水準を抱えていたり,自己理解や自己成長の強いニーズがあるようなクライエントさんにとっては,一般的な傾聴や共感という程度では届かないものがあります。まあ,ひとくちに傾聴や共感と言っても,そのレベルは経験値的に大きく異なるのですが,なかなか証明できるものではなく,カウンセリング/心理療法を受けた人の実感でしか測れない側面があり,「臨床の智」というレベルはそれこそ教育課程で得られるものではありません。加えて,人格的な要素による差というものも大きく影響します。臨床心理士にしても,いろいろな人がいますので,総じて質が高いと言えるわけでもないのですが,公認心理師が中心になるにつれて,人格的な質の問題も大きくなってくるように思います。いずれにしても,僕個人としては,高度な専門性のニーズにも応えられるように,研鑽と成長を続けていくだけですし,それが必要な人に届けられるようにと願っています。