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確定申告やら「心理アセスメント実習講座」の準備やらで忙しくしてたんだけど,2週間ほど前にプレイセラピーの時に突き指をしてしまって,それが思いのほか腫れてしまったので,とても不便に過ごしてた。まあ利き手じゃないのが救いだけど,10日ぐらいは腫れと痛みで湿布を貼っていたので,キーボードの入力効率が悪いので,作業の進みも悪いという状況。ま〜忙しいときにいろいろ起きます。やっぱり厄年なのか?ケガはケガでそのセラピーを考える機会にもなるんだけど,それは何かの機会に書きますね。
さて,昨年実施して,2回目は予想以上に盛況で満席となった,無料体験・公開講座「クリエイティヴ・セラピー」,今年も4月3日(土)と5月22日(土)に開催することになりましたので,お知らせします。あと,もうあまり日がありませんが,3月22日の「心理アセスメント実習講座」の方も,まだお申し込みは可能ですので,よろしくお願いします。充実した講座になるように,頑張って準備を進めているところです。
さて,昨年実施して,2回目は予想以上に盛況で満席となった,無料体験・公開講座「クリエイティヴ・セラピー」,今年も4月3日(土)と5月22日(土)に開催することになりましたので,お知らせします。あと,もうあまり日がありませんが,3月22日の「心理アセスメント実習講座」の方も,まだお申し込みは可能ですので,よろしくお願いします。充実した講座になるように,頑張って準備を進めているところです。
毎度のことながら更新が遅れてごめんなさい。講座の準備やら確定申告の作業やらで,いろいろ忙しくなってしまってます。休日返上で研修の連続講座にも行っているので,しばらく休みなしが続いてます。ストレスが強くなったのか,口唇ヘルペスらしい状態にもなっていて,身体にきているなあという感じ。まあ,すぐ治まってきたんですけどね。そんな中でも,何か個人的な面で心理的な動きがあるなあと感じているので,それを書こうと思います。
今年は厄年の後厄に当たるので,2月に厄払いに行ってきて,その後で口唇ヘルペスらしい状態になったけど,まあ去年は帯状疱疹だったし,軽くすんでるかなと。2月は節分と立春ということで,旧暦としては年の変わり目だから,そういう意識もあったんだけど,自分の中でも何か改変するような動きが出てきているんだなと感じてる。この前後で,古いパソコンなどを増強してある程度快適に使えるようにしたいという衝動が強くなっていて,いろいろと調べてパーツを買ってパソコンの本体を開けて作業ということをやっていた。何もこの忙しいときにやらなくても,と思うのだけど,何かやらずにはいられないような感じで,まだやりたいことの全部は終わってないけど,1つ完了して落ち着いた。
今年は厄年の後厄に当たるので,2月に厄払いに行ってきて,その後で口唇ヘルペスらしい状態になったけど,まあ去年は帯状疱疹だったし,軽くすんでるかなと。2月は節分と立春ということで,旧暦としては年の変わり目だから,そういう意識もあったんだけど,自分の中でも何か改変するような動きが出てきているんだなと感じてる。この前後で,古いパソコンなどを増強してある程度快適に使えるようにしたいという衝動が強くなっていて,いろいろと調べてパーツを買ってパソコンの本体を開けて作業ということをやっていた。何もこの忙しいときにやらなくても,と思うのだけど,何かやらずにはいられないような感じで,まだやりたいことの全部は終わってないけど,1つ完了して落ち着いた。
寒いですね〜。少し緩和してきたようですが,全国的に寒波が押し寄せていたらしく,暖冬という噂は?って感じです。パソコンの部屋はどうしても足もとが冷えるので,いろいろとやっているといつの間にかヒザから下が冷え切っていて,低体温になりやすい体質なので,この季節は要注意です。パソコンにつなげられる保温グッズでも買おうかな〜。体温が下がると,基本的に免疫機能が落ちるらしいので,そういうことも風邪なんかをひく一因になります。みなさんも,保温を心がけてお互いに冬を乗り切りましょう。
さて,自己分析しながら学ぶ「心理アセスメント実習講座」を,▲こころオフィス・盛田▲に掲載しましたので,ぜひご覧ください。3月22日(月・祝)ですが,今回が初開催となる新しい企画です。去年から温めていた企画なんですが,諸般の事情から時期を検討していました。“自己分析しながら学ぶ”とあるように,まずはアセスメント・バッテリー(心理検査の組合せ)で実際に心理アセスメントを受けて体験していただき,自己分析をしながら学んでいく感じの流れになります。初のプロジェクター導入という方向でも考えているので,僕としてもいろいろと新しい試みがある講座で楽しみにしています。
さて,自己分析しながら学ぶ「心理アセスメント実習講座」を,▲こころオフィス・盛田▲に掲載しましたので,ぜひご覧ください。3月22日(月・祝)ですが,今回が初開催となる新しい企画です。去年から温めていた企画なんですが,諸般の事情から時期を検討していました。“自己分析しながら学ぶ”とあるように,まずはアセスメント・バッテリー(心理検査の組合せ)で実際に心理アセスメントを受けて体験していただき,自己分析をしながら学んでいく感じの流れになります。初のプロジェクター導入という方向でも考えているので,僕としてもいろいろと新しい試みがある講座で楽しみにしています。
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。なんかバタバタと年が明けてしまい,あんまり実感がないんだけど,まあ新年ということで今年の抱負でも書いてみようかなと。
う〜ん・・本厄は帯状疱疹にやられたので,とりあえず後厄を乗り切る(苦笑)。今年も学会発表・・やろうかな?(ちょっと弱気)。弱気というか,学会発表だけでも春に抄録の原稿と申請を出して秋にパワーポイントを作ってと労力を使うので,なかなか論文を書く余力がないんだよね。発表したのとかをまとめて形にしたいのだけど。今年も,クリエイティヴ・セラピスト養成講座(公開講座含む)はやります・・って,これは開講した以上,継続していく受講生がいるので当然だけど。加えて新しい企画,アセスメント講座をやります。質問紙2種と描画法3種のバッテリーを予定。詳細は近日ご案内しますね。カウンセリング/心理療法の実力を高めていくことは言うに及ばずだけど,改めて努力を宣言します。
う〜ん・・本厄は帯状疱疹にやられたので,とりあえず後厄を乗り切る(苦笑)。今年も学会発表・・やろうかな?(ちょっと弱気)。弱気というか,学会発表だけでも春に抄録の原稿と申請を出して秋にパワーポイントを作ってと労力を使うので,なかなか論文を書く余力がないんだよね。発表したのとかをまとめて形にしたいのだけど。今年も,クリエイティヴ・セラピスト養成講座(公開講座含む)はやります・・って,これは開講した以上,継続していく受講生がいるので当然だけど。加えて新しい企画,アセスメント講座をやります。質問紙2種と描画法3種のバッテリーを予定。詳細は近日ご案内しますね。カウンセリング/心理療法の実力を高めていくことは言うに及ばずだけど,改めて努力を宣言します。
ずいぶん寒くなってきましたね。風邪が流行ってくる頃なので,みなさん気をつけてください。僕は,病院で新型インフルエンザの予防接種のことを訊いたら,アレルギー体質なのでリスクがあるからやらない方がいいって言われて,結局普通の風邪予防をするようにって話だった。普段は予防接種をしなくても,今まで1回しかかかったことがないんだけど,新型はちょっとやっておいた方がいいかなと思ったのに。ワクチンって卵から作るそうで,特に卵のアレルギーがある人はアウトらしい。そういえば,20代ぐらいに一度受けようと思って止められたから,以来行こうと思っていなかったのかもしれない。記憶は定かじゃないけど,行動っていつの間にかそうやって作られるものだよなあ,と思ったりして。
11月下旬と12月中旬に,2回にわたって創作コラージュ療法の体験と講義を,私立大学でしてきました。知り合いの大学教授が担当している授業の中のゲスト講師のような形で依頼されて,通常の90分授業では短いので,2回分の授業を担当させていただき,コラージュを創作する体験を含めて,講義をしてきました。1回目は,まず体験ということでコラージュを創ってもらって,終わり頃に一般的なコラージュ療法と創作コラージュ療法の違いを含めて,基本的な知識を講義しました。2回目は,空間象徴理論についての体験的な講義や心理アセスメントあるいは心理療法として投影分析的理解を行う際に背景となる理論などを講義した後,2枚ずつ対比させる形で学生さんの作品を取り上げて,6人の分析をしていき,投影分析的理解法の実際を解説していきました。
11月下旬と12月中旬に,2回にわたって創作コラージュ療法の体験と講義を,私立大学でしてきました。知り合いの大学教授が担当している授業の中のゲスト講師のような形で依頼されて,通常の90分授業では短いので,2回分の授業を担当させていただき,コラージュを創作する体験を含めて,講義をしてきました。1回目は,まず体験ということでコラージュを創ってもらって,終わり頃に一般的なコラージュ療法と創作コラージュ療法の違いを含めて,基本的な知識を講義しました。2回目は,空間象徴理論についての体験的な講義や心理アセスメントあるいは心理療法として投影分析的理解を行う際に背景となる理論などを講義した後,2枚ずつ対比させる形で学生さんの作品を取り上げて,6人の分析をしていき,投影分析的理解法の実際を解説していきました。
相変わらずというか,内的にはいろいろ駆け巡っているけど,仕事は仕事で滞りなくやってます。昔は仕事のことがプライベートの時間帯に入ってきて大変になる時期もあったけど,今では割と切り替えられるようになった。この切り替えができないと続けるのは結構大変だと思うし,臨床の現場に入っていった時のひとつの壁になる人も多いかもしれない。逆に,プライベートの時間帯に取り組む内的な作業の残滓が仕事の中に入ってくることは,前回書いたようにカウンセリング/心理療法の場ではそれを自覚していることが重要だけど,自分の中で大きな流れが起きているときは特に注意しないと,逆転移などの形でセラピスト側の揺れが大きくなるなあと感じてます。
さて,今までにも何度か,何か技法を用いると考えるときに何を用いるかではなくて,セラピストがどういうあり方で技法を用いるかが重要ということを書いたことがあると思う。でも,ケース・カンファレンスなどで事例を扱うときには,どうやら「セラピストがどう存在していたのか」に焦点があたることは少なくて,技法的に「何をしたのか」「どう分析したのか」ということに主に焦点が当たる。まあ,その方がわかりやすいし,議論の対象にはなりやすい。僕だって,学会発表の時にはそういう視点で参加者と共有できる形で発表するわけだし。セラピストの構えみたいな部分は,どうも「治療目標」みたいなところに集約されるのだけど,ここにこだわりすぎるとセラピストが対象化されすぎてしまって,「存在」というものがぼやけてしまう感じがする。
さて,今までにも何度か,何か技法を用いると考えるときに何を用いるかではなくて,セラピストがどういうあり方で技法を用いるかが重要ということを書いたことがあると思う。でも,ケース・カンファレンスなどで事例を扱うときには,どうやら「セラピストがどう存在していたのか」に焦点があたることは少なくて,技法的に「何をしたのか」「どう分析したのか」ということに主に焦点が当たる。まあ,その方がわかりやすいし,議論の対象にはなりやすい。僕だって,学会発表の時にはそういう視点で参加者と共有できる形で発表するわけだし。セラピストの構えみたいな部分は,どうも「治療目標」みたいなところに集約されるのだけど,ここにこだわりすぎるとセラピストが対象化されすぎてしまって,「存在」というものがぼやけてしまう感じがする。
2つの学会発表は大きな支障もなく,無事に終了しました。まあ,学会前後はちょっと根を詰めすぎて体調を崩していましたが。なかなか強迫傾向はなくなることはないので,気がつくと身体を酷使しているという・・・まあこれがあるからそれなりに成果を上げられるんだと思っているから,自分を否定しているわけじゃないんだけど,自分のためにはもう少しバランスをとれるといいいなあという感じかな?日本心理臨床学会での発表は,今年で3年連続の3回目で,司会者の方の上手さもあって,発表内容も過剰に詰め込まずにちょうどいい感じにできたし,今までで最も建設的な議論が展開したという感想でした。とにかく,事例検討でも学会発表でも,自分が担当した事例を扱うのは,改めて事例を見直すことになるので勉強になりますね。
そんな中でも,平行して自分の内的なプロセスも進行していて,学会発表が終わるまでは忙しさであまり本格的に取り組めなかった部分が,ここのところ強烈に動いてきているので,個人的に大変になってきてる。かなりプライベートな内容なので,具体的なことは書けないんだけど,やっぱりセラピストでもある自分の心の動きというのは,担当してる心理面接の動きと何か通じるところがあるなあと思ってるところ。ユングなどの深層心理学では,クライエントさんの無意識とセラピストの無意識を含めて,二人の間で心的プロセスが展開するという考え方をするけど,クライエントさんの心的内容を扱っているようでいて,それはセラピストの心的内容をも扱っている場合が出てくる。例えば,クライエントさんの病理的な部分は,セラピストの中にも潜在的(顕在的なこともある)にあるわけで,心理面接の場面ではセラピストの潜在的な病理を自覚しつながっていることが重要になることがある。この自覚がないと,面接が深まってくるとクライエントさんの病理なのかセラピストの中の病理なのかの区別がつきづらくなる。逆に,セラピスト自身の病理性を自覚して面接場面以外でそれをきちんと扱って変化が生まれると,クライエントさんの病理にも変化が生まれたりもする。
そんな中でも,平行して自分の内的なプロセスも進行していて,学会発表が終わるまでは忙しさであまり本格的に取り組めなかった部分が,ここのところ強烈に動いてきているので,個人的に大変になってきてる。かなりプライベートな内容なので,具体的なことは書けないんだけど,やっぱりセラピストでもある自分の心の動きというのは,担当してる心理面接の動きと何か通じるところがあるなあと思ってるところ。ユングなどの深層心理学では,クライエントさんの無意識とセラピストの無意識を含めて,二人の間で心的プロセスが展開するという考え方をするけど,クライエントさんの心的内容を扱っているようでいて,それはセラピストの心的内容をも扱っている場合が出てくる。例えば,クライエントさんの病理的な部分は,セラピストの中にも潜在的(顕在的なこともある)にあるわけで,心理面接の場面ではセラピストの潜在的な病理を自覚しつながっていることが重要になることがある。この自覚がないと,面接が深まってくるとクライエントさんの病理なのかセラピストの中の病理なのかの区別がつきづらくなる。逆に,セラピスト自身の病理性を自覚して面接場面以外でそれをきちんと扱って変化が生まれると,クライエントさんの病理にも変化が生まれたりもする。
今年は学会発表を2つやることにしてしまって,かなり大変なことになっています。まずは1つ目の概要です。
■日本人間性心理学会第28回大会
・題名:中途身体障害者の心理的回復過程におけるスピリチュアリティの萌芽
・日時:2009年8月29日(土)16:15〜17:45
・場所:法政大学多摩キャンパス 現代福祉学部棟3F302
・備考:発表論文やプログラムは下記URL(トップページ)からたどれます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/jhp2009/
内容としては修論の未発表部分で,今までの雑誌論文や学会発表は修論の中の中心的な部分だったのに対して,関心は強かったものの慎重に扱うべきテーマだったので控えめに記述していたのが今回のテーマです。スピリチュアリティというテーマの扱いには,今でも慎重にとは思っています。あまりに多義的になりすぎて誤解を招く可能性があることや現実離れした観念的な方向に流れやすいことなど,いろいろと考えておかないといけないと思っています。経緯は上記の発表論文を見ていただければわかると思いますが,定義は「いのちの尊さを感じるような深い情感を伴う,時間・空間あるいは日常性を超えたつながりの感覚」としています。人間性心理学は人間の成長可能性について考えるという側面を持ちますし,スピリチュアリティという用語も人間の高次の人格を主に扱うものと考えています。
■日本人間性心理学会第28回大会
・題名:中途身体障害者の心理的回復過程におけるスピリチュアリティの萌芽
・日時:2009年8月29日(土)16:15〜17:45
・場所:法政大学多摩キャンパス 現代福祉学部棟3F302
・備考:発表論文やプログラムは下記URL(トップページ)からたどれます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/jhp2009/
内容としては修論の未発表部分で,今までの雑誌論文や学会発表は修論の中の中心的な部分だったのに対して,関心は強かったものの慎重に扱うべきテーマだったので控えめに記述していたのが今回のテーマです。スピリチュアリティというテーマの扱いには,今でも慎重にとは思っています。あまりに多義的になりすぎて誤解を招く可能性があることや現実離れした観念的な方向に流れやすいことなど,いろいろと考えておかないといけないと思っています。経緯は上記の発表論文を見ていただければわかると思いますが,定義は「いのちの尊さを感じるような深い情感を伴う,時間・空間あるいは日常性を超えたつながりの感覚」としています。人間性心理学は人間の成長可能性について考えるという側面を持ちますし,スピリチュアリティという用語も人間の高次の人格を主に扱うものと考えています。
お知らせの方にも書きましたが,NPO法人日本クリエイティヴ・セラピスト協会の理事に就任しました。初めての理事会というものにも出たところで,何となく実感がでてきたところです。最近は少し余裕があるんだけど,かなり忙しいのが続いていたので心身に疲労が蓄積されてる感じで,休養や楽しむ時間を大切にしてます。
さて,事例検討会とかGSV(グループ・スーパーヴィジョン)なんかに僕はよく出るわけだけど,どうやら参加者側が発言するということが抑制される傾向があるということに最近改めて気づかされた。もちろん今までも,どこに行っても発言は控えめで,事実確認とか細部の質問などに終始して,自分なりの見立てや意見というのがとても少ないというのは感じていて,何十人と参加者がいても,そこまで突っ込んで発言するのは僕を含めた数人という感じだったりするので,違和感はずっとあった。そして,コメンテーターやヴァイザーの意見を聴いて学ぶという姿勢が強いんだということも感じていた。日本人的といえばそれまでなんだけど,後輩にあたる大学院生と話す機会があって,そんな話になったので違和感を感じてるのは僕だけではないなと思ったし,これは少し提言しておきたい。
まず,Cl−Th関係でいえば,事例検討会やGSVで事例を出す人はClの立場で,その他の人はすべてThの立場になる。どうも,コメンテーターやヴァイザーだけがThの立場だと思われている風潮があるようだけど,何らかの相談に訪れる人がClなわけだから,事例を出す人のみがClの立場であり得る。そこが明らかになれば,Clの事例を通した悩みなどについてThが支持したり助言をしたりするのがCl−Th関係であることは間違いがなく,自ずとするべきことは明らかになる。Thの立場である参加者は,事例を出したClがよりよい対応ができるように,また事例を通して成長できるように,応答するべきだと思う。そうでなければ,Cl−Th関係がそこに成り立たなくなる。先に挙げた後輩は,「事例を出して何のコメントもない時にどんな気持ちになるか考えてほしい」と発言しない人たちに対しての想いを話してくれたが,まさにその通り。事例を出したClに対しても,その事例の中のClに対しても,失礼に当たるのではないか?
さて,事例検討会とかGSV(グループ・スーパーヴィジョン)なんかに僕はよく出るわけだけど,どうやら参加者側が発言するということが抑制される傾向があるということに最近改めて気づかされた。もちろん今までも,どこに行っても発言は控えめで,事実確認とか細部の質問などに終始して,自分なりの見立てや意見というのがとても少ないというのは感じていて,何十人と参加者がいても,そこまで突っ込んで発言するのは僕を含めた数人という感じだったりするので,違和感はずっとあった。そして,コメンテーターやヴァイザーの意見を聴いて学ぶという姿勢が強いんだということも感じていた。日本人的といえばそれまでなんだけど,後輩にあたる大学院生と話す機会があって,そんな話になったので違和感を感じてるのは僕だけではないなと思ったし,これは少し提言しておきたい。
まず,Cl−Th関係でいえば,事例検討会やGSVで事例を出す人はClの立場で,その他の人はすべてThの立場になる。どうも,コメンテーターやヴァイザーだけがThの立場だと思われている風潮があるようだけど,何らかの相談に訪れる人がClなわけだから,事例を出す人のみがClの立場であり得る。そこが明らかになれば,Clの事例を通した悩みなどについてThが支持したり助言をしたりするのがCl−Th関係であることは間違いがなく,自ずとするべきことは明らかになる。Thの立場である参加者は,事例を出したClがよりよい対応ができるように,また事例を通して成長できるように,応答するべきだと思う。そうでなければ,Cl−Th関係がそこに成り立たなくなる。先に挙げた後輩は,「事例を出して何のコメントもない時にどんな気持ちになるか考えてほしい」と発言しない人たちに対しての想いを話してくれたが,まさにその通り。事例を出したClに対しても,その事例の中のClに対しても,失礼に当たるのではないか?
またもや更新が遅れました。お詫びのしようもありませんが,ごめんなさい。忙しい状況が続き,ストレスがかかることもあって,初めて帯状疱疹というものになりました。痛い痛いとは聞いてたけど,布が触れただけで痛いので,本当に大変でした。身体というのはいろいろなシグナルを出してくれるんだけど,忙しくしてたりすると素通りしがちで,ボディワークをする者としてはもっと自分の身体とコミュニケーションしなくちゃと反省もあり,まあいろいろと,前後に起こった出来事も含めて,自分を見つめ直す機会になったと思います。
さて,今回は題名通り「現場感覚」というものを最近よく考えるので,取り上げてみようと思います。臨床心理士というのは,臨床心理学に基づいて様々な理論や技法を学ぶわけですが,いざ現場に入ってそれを活用しようとすると,学んだことがそのまま通用するということは少ない。カウンセリング/心理療法というのは,基本的に1対1の関係で,枠という構造の中で考えられてきた部分が多くて,それを教育や医療・福祉といった組織やチームとしての構造ができている中で原理・原則通りやろうとすると難しいということは,たぶん現場に入っている臨床心理士だったら経験しているんだと思う。やはり現場では現場感覚というか,現場の中で臨機応変に考えていくということが重要になるので,頭でっかちに大学院で習った原理・原則を頑なに適用しようとすると,いろいろと現場では不都合が起こる。これから現場に入ろうとする人は,そういうことを踏まえておいた方がいいと思うし,僕自身のスタンスの確認も含めて書きますね。
例えば,スクールカウンセラーなどで学校現場に入ると,教員との関係や保護者が絡んでくるし,教育相談でも指導主事(基本的に教員)や保護者,医療現場なら医師をはじめ医療スタッフ,産業系だと産業医や人事関係者,まあいろいろな人との関係が絡んでくる。また,その現場でのやり方や,複数の心理職がいればその現場に合わせて工夫してきた歴史とか,様々な背景とか文化的なものがあって,その現場の構造というものができあがっている。現場に入ったら,その現場の背景や構造の中での枠というものを考える必要があって,1対1の面接構造が可能ではあっても,そこでの枠は,いわゆる大学院で学ぶような枠とは異なっている。原理・原則としての枠はやはり1対1の面接構造のみを考えた枠であって,現場の枠というのはその現場の構造をひっくるめた中での面接構造となる。
さて,今回は題名通り「現場感覚」というものを最近よく考えるので,取り上げてみようと思います。臨床心理士というのは,臨床心理学に基づいて様々な理論や技法を学ぶわけですが,いざ現場に入ってそれを活用しようとすると,学んだことがそのまま通用するということは少ない。カウンセリング/心理療法というのは,基本的に1対1の関係で,枠という構造の中で考えられてきた部分が多くて,それを教育や医療・福祉といった組織やチームとしての構造ができている中で原理・原則通りやろうとすると難しいということは,たぶん現場に入っている臨床心理士だったら経験しているんだと思う。やはり現場では現場感覚というか,現場の中で臨機応変に考えていくということが重要になるので,頭でっかちに大学院で習った原理・原則を頑なに適用しようとすると,いろいろと現場では不都合が起こる。これから現場に入ろうとする人は,そういうことを踏まえておいた方がいいと思うし,僕自身のスタンスの確認も含めて書きますね。
例えば,スクールカウンセラーなどで学校現場に入ると,教員との関係や保護者が絡んでくるし,教育相談でも指導主事(基本的に教員)や保護者,医療現場なら医師をはじめ医療スタッフ,産業系だと産業医や人事関係者,まあいろいろな人との関係が絡んでくる。また,その現場でのやり方や,複数の心理職がいればその現場に合わせて工夫してきた歴史とか,様々な背景とか文化的なものがあって,その現場の構造というものができあがっている。現場に入ったら,その現場の背景や構造の中での枠というものを考える必要があって,1対1の面接構造が可能ではあっても,そこでの枠は,いわゆる大学院で学ぶような枠とは異なっている。原理・原則としての枠はやはり1対1の面接構造のみを考えた枠であって,現場の枠というのはその現場の構造をひっくるめた中での面接構造となる。