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研修や学会などで忙しく,また更新が遅れてしまってごめんなさい。暑さにまいっていた部分もありますが,ここ数日は過ごしやすい天候でよかったです。恐らくまた残暑が戻ってくると思うので憂鬱ですが,気温の変化は意外にストレスになるので,注意して夏を乗り切りましょう。今回は,学会で発達障害に関連するケースを中心に聞いていましたので,最近の傾向などを書いてみたいと思います。
学会発表の準備やその後の心理的負荷の高い出来事などを経て,少し遅い夏期休暇を取っていたのですが,放心状態ですっかりブログの更新が頭から抜けていました。お待たせしてしまった方,本当にごめんなさい。学会発表は110人を超える来場者があり,時間配分はあまりよくなかったのですが,建設的な意見などもいただいて,言いたかったことも比較的言えたと感じられて満足でした。ご来場いただいた方に感謝しています。今回は,その学会発表の準備の過程で着想が広がった,「中間領域」という概念について書きたいと思います。
オリンピックの応援をするのに盛り上がって,終わったらしばらく放心状態みたいな感じで,更新が遅れてしまってごめんなさい。史上最高のメダル獲得数ということで,感動の連続でした。選手たちには,ありがとうという感謝とお疲れさまでしたと伝えたい気持ちです。今日はパレードもあって,行けなかったのでテレビで見ましたが,ものすごい人でしたね。そろそろ,学会発表に向けて準備をしていかないとなので,5回連続の発達障害とプレイセラピーに関する発表の集大成という感じになるかなと思いながら,今回は書いていきたいと思います。
11月から12月にかけて,僕が週2日勤務している教育相談の現場は,とても忙しくなりますが,今年は例年にないほどケースが詰まってきて,大変な状況です。年々ケースが増えている感があるのは,発達障害(特に広汎性発達障害(PDD)スペクトラム)と思われる子どもたちの不適応・不登校などが増えていることが要因のひとつとして挙げられます。今回は,今までの学会発表を論文にまとめようと思っていることもあり,発達障害(特にアスペルガー障害や高機能自閉症)について書きたいと思います。
福岡で行われた心理臨床学会で,僕の発表に来てくださった方,本当にありがとうございました。最終日の最後の枠だったので,どうなるかと思っていましたが,ほぼ満席で80名を超える来場者の中,無事に発表をお超えることができました。今回は,僕の発表も含めて,いくつかの発達障害系の発表における議論の方向性で感じたことを書いてみようと思います。まあ,その場でとっさには,今ひとつ自分の考えを表現できなかった反省もあって,補足の意味もあるのだけれど。
前回は,学会発表の準備が煮詰まっていたので書けなかったんですが,ようやく準備が完了したので,号外的に書きます。福岡で行われる,日本心理臨床学会で,4年連続になる(軽度)発達障害へのプレイセラピーのテーマで,今年も発表します。最終日の最後の枠になったので,お帰りの方もいらっしゃるでしょうが,ぜひお時間があるようでしたらお立ち寄りください。
学校で暴力暴言があるアスペルガー傾向の男児とのプレイセラピー
――プレイセラピーで育まれた‘主体’が情緒的交流をも行うプロセス――
今回は,‘主体’の欠如も指摘されている(軽度)発達障害の心的世界の中で,プレイセラピーでのholdingを通して‘主体’が育まれるプロセスを考察し,その中で最も重要と思われるセラピストの姿勢・態度を中心に検討していきます。また,前回フロアから質問された「どのようにholding」するかをその場で上手く表現できなかったので,それについてとこの質問のようなアプローチで陥りやすい,技法を対象に含めた関係性の問題などを取り上げていきます。
それでは,発表を通してフロアのみなさんとコミュニケーションを取りながら議論を深めていける機会になることを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
学校で暴力暴言があるアスペルガー傾向の男児とのプレイセラピー
――プレイセラピーで育まれた‘主体’が情緒的交流をも行うプロセス――
今回は,‘主体’の欠如も指摘されている(軽度)発達障害の心的世界の中で,プレイセラピーでのholdingを通して‘主体’が育まれるプロセスを考察し,その中で最も重要と思われるセラピストの姿勢・態度を中心に検討していきます。また,前回フロアから質問された「どのようにholding」するかをその場で上手く表現できなかったので,それについてとこの質問のようなアプローチで陥りやすい,技法を対象に含めた関係性の問題などを取り上げていきます。
それでは,発表を通してフロアのみなさんとコミュニケーションを取りながら議論を深めていける機会になることを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
毎度のことながら,更新が遅れてごめんなさい。学会発表が終わって,しばらく気が抜けたというか,ギリギリまで準備をしていたのでやりきった感があって,逆に振り返る時間が必要だったかなと思います。やりきったといっても,まあ反省点は残っているけど,今回はあまり緊張しないでやれたので,古武術の練習での心の持ち方が活かせるようになってきたかなという感じ。反省点ははまた次回に活かしていこうということで,今のところ来年も発表しようとは思っています。来てくださった方,改めてありがとうございました。よかったらまた,来年お会いしましょう。
今回の発表で,事例を通した考察では,プレイセラピーに加えて他機関で療育が実施されるようになった影響で,クライエントが身につけた適応行動がロボット化してしまったことを通して,プレイセラピーにせよ療育にせよ,それを行う援助者の心理的な姿勢,あり方(being)が大きく影響を与えていくということを伝えようとしました。ひいては,クライエントさんとの関係性に関わってくる重要な点で,ある意味当然とも言えることではあるけれど,何か技法を用いようとかするときに,ついついずれていきがちなところでもあると考えてます。つまりは,クライエントさんに心を向けた関係性ではなくなって,技法に心が向いてしまってセラピストと技法との関係が主になってしまうということがあり得るわけです。基本中の基本ともいえることだけれど,絶えず気をつけていないとずれていってしまうと考えていて,それを伝えようと思った発表でした。その中で,ウィニコットのholdingなどに言及したんだけど,フロアから僕が「どのようにholdingしているのか」という質問があったので,補足を兼ねて書きたいと思います。
今回の発表で,事例を通した考察では,プレイセラピーに加えて他機関で療育が実施されるようになった影響で,クライエントが身につけた適応行動がロボット化してしまったことを通して,プレイセラピーにせよ療育にせよ,それを行う援助者の心理的な姿勢,あり方(being)が大きく影響を与えていくということを伝えようとしました。ひいては,クライエントさんとの関係性に関わってくる重要な点で,ある意味当然とも言えることではあるけれど,何か技法を用いようとかするときに,ついついずれていきがちなところでもあると考えてます。つまりは,クライエントさんに心を向けた関係性ではなくなって,技法に心が向いてしまってセラピストと技法との関係が主になってしまうということがあり得るわけです。基本中の基本ともいえることだけれど,絶えず気をつけていないとずれていってしまうと考えていて,それを伝えようと思った発表でした。その中で,ウィニコットのholdingなどに言及したんだけど,フロアから僕が「どのようにholdingしているのか」という質問があったので,補足を兼ねて書きたいと思います。
ずいぶん寒くなってきましたね。風邪が流行ってくる頃なので,みなさん気をつけてください。僕は,病院で新型インフルエンザの予防接種のことを訊いたら,アレルギー体質なのでリスクがあるからやらない方がいいって言われて,結局普通の風邪予防をするようにって話だった。普段は予防接種をしなくても,今まで1回しかかかったことがないんだけど,新型はちょっとやっておいた方がいいかなと思ったのに。ワクチンって卵から作るそうで,特に卵のアレルギーがある人はアウトらしい。そういえば,20代ぐらいに一度受けようと思って止められたから,以来行こうと思っていなかったのかもしれない。記憶は定かじゃないけど,行動っていつの間にかそうやって作られるものだよなあ,と思ったりして。
11月下旬と12月中旬に,2回にわたって創作コラージュ療法の体験と講義を,私立大学でしてきました。知り合いの大学教授が担当している授業の中のゲスト講師のような形で依頼されて,通常の90分授業では短いので,2回分の授業を担当させていただき,コラージュを創作する体験を含めて,講義をしてきました。1回目は,まず体験ということでコラージュを創ってもらって,終わり頃に一般的なコラージュ療法と創作コラージュ療法の違いを含めて,基本的な知識を講義しました。2回目は,空間象徴理論についての体験的な講義や心理アセスメントあるいは心理療法として投影分析的理解を行う際に背景となる理論などを講義した後,2枚ずつ対比させる形で学生さんの作品を取り上げて,6人の分析をしていき,投影分析的理解法の実際を解説していきました。
11月下旬と12月中旬に,2回にわたって創作コラージュ療法の体験と講義を,私立大学でしてきました。知り合いの大学教授が担当している授業の中のゲスト講師のような形で依頼されて,通常の90分授業では短いので,2回分の授業を担当させていただき,コラージュを創作する体験を含めて,講義をしてきました。1回目は,まず体験ということでコラージュを創ってもらって,終わり頃に一般的なコラージュ療法と創作コラージュ療法の違いを含めて,基本的な知識を講義しました。2回目は,空間象徴理論についての体験的な講義や心理アセスメントあるいは心理療法として投影分析的理解を行う際に背景となる理論などを講義した後,2枚ずつ対比させる形で学生さんの作品を取り上げて,6人の分析をしていき,投影分析的理解法の実際を解説していきました。
相変わらずというか,内的にはいろいろ駆け巡っているけど,仕事は仕事で滞りなくやってます。昔は仕事のことがプライベートの時間帯に入ってきて大変になる時期もあったけど,今では割と切り替えられるようになった。この切り替えができないと続けるのは結構大変だと思うし,臨床の現場に入っていった時のひとつの壁になる人も多いかもしれない。逆に,プライベートの時間帯に取り組む内的な作業の残滓が仕事の中に入ってくることは,前回書いたようにカウンセリング/心理療法の場ではそれを自覚していることが重要だけど,自分の中で大きな流れが起きているときは特に注意しないと,逆転移などの形でセラピスト側の揺れが大きくなるなあと感じてます。
さて,今までにも何度か,何か技法を用いると考えるときに何を用いるかではなくて,セラピストがどういうあり方で技法を用いるかが重要ということを書いたことがあると思う。でも,ケース・カンファレンスなどで事例を扱うときには,どうやら「セラピストがどう存在していたのか」に焦点があたることは少なくて,技法的に「何をしたのか」「どう分析したのか」ということに主に焦点が当たる。まあ,その方がわかりやすいし,議論の対象にはなりやすい。僕だって,学会発表の時にはそういう視点で参加者と共有できる形で発表するわけだし。セラピストの構えみたいな部分は,どうも「治療目標」みたいなところに集約されるのだけど,ここにこだわりすぎるとセラピストが対象化されすぎてしまって,「存在」というものがぼやけてしまう感じがする。
さて,今までにも何度か,何か技法を用いると考えるときに何を用いるかではなくて,セラピストがどういうあり方で技法を用いるかが重要ということを書いたことがあると思う。でも,ケース・カンファレンスなどで事例を扱うときには,どうやら「セラピストがどう存在していたのか」に焦点があたることは少なくて,技法的に「何をしたのか」「どう分析したのか」ということに主に焦点が当たる。まあ,その方がわかりやすいし,議論の対象にはなりやすい。僕だって,学会発表の時にはそういう視点で参加者と共有できる形で発表するわけだし。セラピストの構えみたいな部分は,どうも「治療目標」みたいなところに集約されるのだけど,ここにこだわりすぎるとセラピストが対象化されすぎてしまって,「存在」というものがぼやけてしまう感じがする。
今年は学会発表を2つやることにしてしまって,かなり大変なことになっています。まずは1つ目の概要です。
■日本人間性心理学会第28回大会
・題名:中途身体障害者の心理的回復過程におけるスピリチュアリティの萌芽
・日時:2009年8月29日(土)16:15〜17:45
・場所:法政大学多摩キャンパス 現代福祉学部棟3F302
・備考:発表論文やプログラムは下記URL(トップページ)からたどれます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/jhp2009/
内容としては修論の未発表部分で,今までの雑誌論文や学会発表は修論の中の中心的な部分だったのに対して,関心は強かったものの慎重に扱うべきテーマだったので控えめに記述していたのが今回のテーマです。スピリチュアリティというテーマの扱いには,今でも慎重にとは思っています。あまりに多義的になりすぎて誤解を招く可能性があることや現実離れした観念的な方向に流れやすいことなど,いろいろと考えておかないといけないと思っています。経緯は上記の発表論文を見ていただければわかると思いますが,定義は「いのちの尊さを感じるような深い情感を伴う,時間・空間あるいは日常性を超えたつながりの感覚」としています。人間性心理学は人間の成長可能性について考えるという側面を持ちますし,スピリチュアリティという用語も人間の高次の人格を主に扱うものと考えています。
■日本人間性心理学会第28回大会
・題名:中途身体障害者の心理的回復過程におけるスピリチュアリティの萌芽
・日時:2009年8月29日(土)16:15〜17:45
・場所:法政大学多摩キャンパス 現代福祉学部棟3F302
・備考:発表論文やプログラムは下記URL(トップページ)からたどれます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/jhp2009/
内容としては修論の未発表部分で,今までの雑誌論文や学会発表は修論の中の中心的な部分だったのに対して,関心は強かったものの慎重に扱うべきテーマだったので控えめに記述していたのが今回のテーマです。スピリチュアリティというテーマの扱いには,今でも慎重にとは思っています。あまりに多義的になりすぎて誤解を招く可能性があることや現実離れした観念的な方向に流れやすいことなど,いろいろと考えておかないといけないと思っています。経緯は上記の発表論文を見ていただければわかると思いますが,定義は「いのちの尊さを感じるような深い情感を伴う,時間・空間あるいは日常性を超えたつながりの感覚」としています。人間性心理学は人間の成長可能性について考えるという側面を持ちますし,スピリチュアリティという用語も人間の高次の人格を主に扱うものと考えています。