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相変わらずというか,内的にはいろいろ駆け巡っているけど,仕事は仕事で滞りなくやってます。昔は仕事のことがプライベートの時間帯に入ってきて大変になる時期もあったけど,今では割と切り替えられるようになった。この切り替えができないと続けるのは結構大変だと思うし,臨床の現場に入っていった時のひとつの壁になる人も多いかもしれない。逆に,プライベートの時間帯に取り組む内的な作業の残滓が仕事の中に入ってくることは,前回書いたようにカウンセリング/心理療法の場ではそれを自覚していることが重要だけど,自分の中で大きな流れが起きているときは特に注意しないと,逆転移などの形でセラピスト側の揺れが大きくなるなあと感じてます。
さて,今までにも何度か,何か技法を用いると考えるときに何を用いるかではなくて,セラピストがどういうあり方で技法を用いるかが重要ということを書いたことがあると思う。でも,ケース・カンファレンスなどで事例を扱うときには,どうやら「セラピストがどう存在していたのか」に焦点があたることは少なくて,技法的に「何をしたのか」「どう分析したのか」ということに主に焦点が当たる。まあ,その方がわかりやすいし,議論の対象にはなりやすい。僕だって,学会発表の時にはそういう視点で参加者と共有できる形で発表するわけだし。セラピストの構えみたいな部分は,どうも「治療目標」みたいなところに集約されるのだけど,ここにこだわりすぎるとセラピストが対象化されすぎてしまって,「存在」というものがぼやけてしまう感じがする。
さて,今までにも何度か,何か技法を用いると考えるときに何を用いるかではなくて,セラピストがどういうあり方で技法を用いるかが重要ということを書いたことがあると思う。でも,ケース・カンファレンスなどで事例を扱うときには,どうやら「セラピストがどう存在していたのか」に焦点があたることは少なくて,技法的に「何をしたのか」「どう分析したのか」ということに主に焦点が当たる。まあ,その方がわかりやすいし,議論の対象にはなりやすい。僕だって,学会発表の時にはそういう視点で参加者と共有できる形で発表するわけだし。セラピストの構えみたいな部分は,どうも「治療目標」みたいなところに集約されるのだけど,ここにこだわりすぎるとセラピストが対象化されすぎてしまって,「存在」というものがぼやけてしまう感じがする。