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今月も更新がずいぶん遅れてしまってごめんなさい。体調があまり芳しくはないので,ペースダウンしてます。野口整体でのお話によると,立春ぐらいから身体がゆるみ始めてそれまでに蓄積されたものが表面に出てくるので,痛みを感じたり体調を崩したりしやすい時期だそうで,活元運動を始めて最初の立春なので,いろいろ出てくるかもしれないとのこと。まあ,何が出てくるか楽しみながらやってます。さて今回は,河合隼雄先生が言われていた「何もしないこと」を久しぶりに取り上げてみます。
新年から更新が大幅に遅れてしまい,ごめんなさい。本年も当サイト「臨床心理士・盛田祐司」と「こころオフィス・盛田」をよろしくお願いいたします。新しく事務所を構えて,カウンセリング/心理療法や,臨床心理学/コラージュ講座を行うことにしたので,年末から契約や準備でかなり立て込んでいました。ようやく落ちついてきて,長文を書ける余裕ができたので,今年の抱負ということで書いていきたいと思います。
11月から12月にかけて,僕が週2日勤務している教育相談の現場は,とても忙しくなりますが,今年は例年にないほどケースが詰まってきて,大変な状況です。年々ケースが増えている感があるのは,発達障害(特に広汎性発達障害(PDD)スペクトラム)と思われる子どもたちの不適応・不登校などが増えていることが要因のひとつとして挙げられます。今回は,今までの学会発表を論文にまとめようと思っていることもあり,発達障害(特にアスペルガー障害や高機能自閉症)について書きたいと思います。
ここ1週間ぐらい体調が思わしくなくて,また大幅に更新が遅れてしまいました。お待たせしてごめんなさい。報告ですが,11月3日に設立総会が行われ「日本創作療法学会」が正式に設立されました。僕は理事に就任することになりましたので,学会の発展に微力を傾けていきたいと思います。「日本創作療法学会」は,「クリエイティヴ・セラピー」の日本語の「創作療法」を掲げる学会ですので,創作コラージュ療法を中心として,学術的な意味でもさらに発展していくことと思います。学会へのリンクは,「新着情報・お知らせ」の方から辿ってください。みなさん,よろしくお願いいたします。今回は,「心理療法と依存性」をテーマに書きます。
忙しいのが続いたあげくに体調を崩したりで,更新が遅れました。毎度のことですが,お待たせしてしまってごめんなさい。自分の身体との対話というのを深めているので前より回復は早いんですけど,身体の中に眠っていたものを見つけちゃうこともあって,体調を崩す場合もあったりという感じですね。でも身体の方でもわかっていて,大きな支障がない時に崩れてくれたりします。今回の話題は,まったく違って「共感」というカウンセリング/心理療法における最も基本であり奥が深いものです。
福岡で行われた心理臨床学会で,僕の発表に来てくださった方,本当にありがとうございました。最終日の最後の枠だったので,どうなるかと思っていましたが,ほぼ満席で80名を超える来場者の中,無事に発表をお超えることができました。今回は,僕の発表も含めて,いくつかの発達障害系の発表における議論の方向性で感じたことを書いてみようと思います。まあ,その場でとっさには,今ひとつ自分の考えを表現できなかった反省もあって,補足の意味もあるのだけれど。
前回は,学会発表の準備が煮詰まっていたので書けなかったんですが,ようやく準備が完了したので,号外的に書きます。福岡で行われる,日本心理臨床学会で,4年連続になる(軽度)発達障害へのプレイセラピーのテーマで,今年も発表します。最終日の最後の枠になったので,お帰りの方もいらっしゃるでしょうが,ぜひお時間があるようでしたらお立ち寄りください。
学校で暴力暴言があるアスペルガー傾向の男児とのプレイセラピー
――プレイセラピーで育まれた‘主体’が情緒的交流をも行うプロセス――
今回は,‘主体’の欠如も指摘されている(軽度)発達障害の心的世界の中で,プレイセラピーでのholdingを通して‘主体’が育まれるプロセスを考察し,その中で最も重要と思われるセラピストの姿勢・態度を中心に検討していきます。また,前回フロアから質問された「どのようにholding」するかをその場で上手く表現できなかったので,それについてとこの質問のようなアプローチで陥りやすい,技法を対象に含めた関係性の問題などを取り上げていきます。
それでは,発表を通してフロアのみなさんとコミュニケーションを取りながら議論を深めていける機会になることを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
学校で暴力暴言があるアスペルガー傾向の男児とのプレイセラピー
――プレイセラピーで育まれた‘主体’が情緒的交流をも行うプロセス――
今回は,‘主体’の欠如も指摘されている(軽度)発達障害の心的世界の中で,プレイセラピーでのholdingを通して‘主体’が育まれるプロセスを考察し,その中で最も重要と思われるセラピストの姿勢・態度を中心に検討していきます。また,前回フロアから質問された「どのようにholding」するかをその場で上手く表現できなかったので,それについてとこの質問のようなアプローチで陥りやすい,技法を対象に含めた関係性の問題などを取り上げていきます。
それでは,発表を通してフロアのみなさんとコミュニケーションを取りながら議論を深めていける機会になることを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
夏休みに音楽系のイベントに行った時,被災者への黙祷のひとときがあって,音が絶えないイベントが1分間の静寂に包まれた。若者もたくさんいたけれど,死を前にした厳かさというのか,そういう感覚は共有できるんだと感じた。特に,日本全体が衝撃を受けた大震災だっただけに,それぞれ思うところがあるんだろうし,被災者の悲しみや苦しみは計り知れないけど,日本人が心をひとつにする大きな転機になったのかもしれない。心の病や悩みも,その人の全体性を取り戻すきっかけになるものだし,きちんと悲しみや苦しみと向き合って乗り越えていけるなら,必ず意味をもっているものだと思う。今回は,前に書いた,支援する側の陥りやすい心理的傾向について別の角度から書きます。
今月は大幅に更新が遅れてしまってごめんなさい。夏バテ気味だったのに加えて,ショックな出来事があって,なかなか文章を書くエネルギーが出てこない感じでした。「こころの復興」ということでFacebookの方でいろいろ書いてますが,個人的な感覚でも,心の深いレベルでの抑うつ感みたいなものがあって,ショックな出来事を受け止めきれないような感じですね。こういう時期に,なでしこジャパンがあきらめない心と強い結束で快挙を成し遂げたのは,日本全体に広がっている潜在的な抑うつ感を大きく払拭するんじゃないかと思っています。今回は,この結束ということについて書いてみます。
東日本大震災から3ヶ月が過ぎて,被災地から離れた地域では日常を取り戻し始めていると思います。少しずつ支援への関心が減っていく時期だと思いますが,継続的な支援が必要ですし,対応の遅れが目立ち被災した人々のストレスはかなり蓄積されているはずです。何とか保っていた心理的なバランスが崩れやすい頃でもありますので,何らかの形で支援しようとする気持ちを向け続けることが大切だと思います。今回は,支援する側とされる側のギャップについて書いてみます。